何故、広宣流布をしなければならないのか?

御書に云く

日蓮が云はく、一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし。
(諌暁八幡抄1542)

大聖人は人々の苦しみも、我が苦しみと捉えられている。

総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。
(四菩薩造立抄1370)

私たちは大聖人の末弟・信者として及ばずながら大聖人を見習わなければならない。

大願とは法華弘通なり

(御義口伝 一七四九)

そうである所、大聖人が願ってやまないのはこの教えが弘まることである。この教えとは何か、

某は下種の法主なり(本因妙抄1680)

極言すれば大聖人が下種仏法の御本仏である、という教えであり――、

釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり

(身延山付嘱書1675)

その教えを受け継がれた日興上人をはじめとする大石寺歴代上人の時宜に即した指導に従って、励む信心、これが全世界に弘まることを大聖人は望まれているのである。66世日達上人は次の様に述べられている。

日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。

(66世 日達上人お言葉 S460618・日達上人全集2輯6巻294頁)

ゆえに、私たち日蓮正宗信仰者は大聖人がなした如く日蓮正宗の信心を広宣流布することに努力精進するのである。

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