国立戒壇との呼称は今後使わない

S4506p17no_more_kokuritu【資料写真】大日蓮 S45.6号P17

下記の発表は、論文や破折書などの資料では度々目にし、日達上人のそういうお言葉があったなぁ、という認識はあったのですが、実際当時の印刷物で確認したことがなかった。今回、ある人の論文で孫引きの形で引用していたので、これを指摘する為に、画像を見つけました。


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わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提(えんぶだい)第一の本尊此の国に立つ可し」(御書全集二五四頁・本尊抄・平成新編御書六六一頁)と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。
日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。
明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。
今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。

創価学会においても、かつて「国立戒壇」という名称を使ったことがありましたが、創価学会は、日蓮正宗の信徒の集まりでありますから、わが宗で使用した名称なるゆえに、その”国立”なる名称を使用したにすぎないと思うのでございます。
今日、世間の人々が”国立”という名称を、学会がかつて使用したことについて非難するのは、あたらないと思います。
われわれは、ただ日蓮大聖人の仏法を広宣流布するにあるのであります。そして、大聖人の仏法を信じた人々は、本門戒壇の大御本尊を、わが総本山大石寺において拝し奉り、即座に即身成仏の本懐を遂げることが最も大切であります。
(66世日達上人御説法:昭和45年5月3日、創価学会第三十三回本部幹部会於日大講堂でのお言葉 大日蓮昭和45年6月号17頁)

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