鬱陶しい雨の季節ですが、世の中には嫌な物も自分を成長させるのに役立っている場合があります。
梅雨時の雨が無ければお百姓さんは米が作れなくて困ります。
お米がなければ生きていけませんよね?
米は命なりという御文もどこかにありましたっけね。
え、なになに?
私はパンを食べるから、お米は食べないんです と?
そんなことを言っても、よく考えれば、そのワタシはお米を食べている人の助けを受けて生きている。
結局みんな、誰かの世話になっている。一人超然と生きているなんておいう図は無人島に一人暮らしでもしない限りあり得ない。
いや、それとても、生きるためには食べるだろう、魚でも鳥でも捕まえて食べるだろう。そうであればそれらの命によってワタシは生きている、ということに思いを致さなければならない。
そう言う事で、世の中に不必要な存在など一つもない。
みんながみんな、何かしらの役に立っている。作用を与えている。
これを仏法では縁起というんだ。
コメント