驚いた質問

ゼンマイという動力は鋼の板を巻いてその復元力を活用する所にありますが、巻く時にストッパーがあるから、順次巻き込んで行けるのであって、もしこのストッパーが無かったならば、ゼンマイは動力としての用を成しません。

先日、折伏していた人から、

御授戒はきっと受けなければならないものなのですか? 御授戒を受けずにそっと御本尊様を崇拝しているだけじゃダメなんですか?

という意見を受け、面食らいました。
だって――、御授戒を受けなければ何を以て日蓮正宗信者といえましょうか?
異国の地で生まれた邦人が、日本国の保護を被るには日本国国籍を有しているという証拠がなければ、ならないのと同様に、大聖人の仏法を信ずるならば、信ずる、という証を立てなければならないのは、私たちにとっては当然すぎることなので、このような意見にはびっくりしました。

それで冒頭のゼンマイです。
御授戒はストッパーのようなものです。これなくしては如何に他の部品が十全であっても、動力にならないのです。
同じように、御授戒をせずにこの信心を致しますというのでは、作善も作善とならず、単なる「信心ごっこ」でしかなくなってしまいまいます。

仮使い発心真実ならざる者も、正境に縁すれば功徳猶多し。
若し正境に非ずんば、縦い偽妄無きも亦本種と成らず(T46,170c)

と妙楽大師は言っているそうですが、
日蓮正宗の御本尊という「正境」に縁する、即ち御授戒を受けることによって、たとえそれが邪な動機であったとしても、必ず仏様の功徳を頂くことが出来る。
逆に、日蓮正宗の御本尊以外の――、例えば創価学会のニセ本尊などに一生懸命に拝み倒したと、しても、成仏は出来ない
ということを示しています。

ですからやはり御授戒は受けなくてはいけないのです。

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