春の嵐が過ぎ、やっと桜の開花です。
3月25日が開花予想でしたから少しずれ込みました。
もしかしたら4月6日の御虫払いまで保つかも知れません。
桜といえば御義口伝に
御義口伝に云はく、量の字を本門に配する事は、量とは懸摂の義なり。本門の心は無作の三身を談ず。此の無作の三身とは仏の上計りにしては之を云はず。森羅万象を自受用身の自体顕照と談ずる故に、迹門にして不変真如の理円を明かす処を、迹の当体を改めずして無作の三身と沙汰するが本門事円三千の心なり。是桜梅桃李の己が位己が体を改めずして無作の三身と開覚す。是即ち量の義なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は無作三身の本主なり云云。(1792頁)
とあります。仏身は無作である、敢えて繕わざるその身そのままの体でありますが、これを神々しい仏様の事だと思っていてはいけない。この世の一切合切が仏様の身を顕した物で無い物はない。即ち一切は仏身なのです。ということは拙い私たちの身もまた仏様であるともいえるのです。
故に桜や梅、桃に李(すもも)と花にも色々あるように、私たち人間も生まれた境遇や見識など実に様々な差がありますが、そんな立場・境遇の人であっても、この日蓮大聖人の教えて下さった「南無妙法蓮華経」を信じて唱える人は、その身その侭で成仏することが出来るのです。
成仏ったって、何も金ぴかの仏様になる訳ではありません。
お釈迦様が人としてこの世に生まれ、生老病死の四苦を克服されたように、私たちも仏様の種である「南無妙法蓮華経」を信じて唱える事によってどんなことにも動揺せず、苦悩に敢然と立ち向かっていける力強い気力精力を出すことが出来るのです。これが成仏の姿です。
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