素朴な信仰心

洗心の竜 未分類
手紙を持っている洗心の竜

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ん? 先日、大石寺の洗心の竜に、何か紙がはさまれていた。

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よく創価学会員や顕正会員が論難にもならない自分の自己主張を書き殴った物を玄関先や本堂先に置いていくケースがある。中には脱会したと称して創価学会と宗門は仲直りをすべきで、双方を破折している自分こそが大聖人の真の弟子だといって自分こそ教祖様だと宣言して愚にも付かない御託宣のたまう創価学会崩れの輩が居る。
またそんな奴か、即座にゴミ箱に捨てようと手に取ってみた。

意外にも、こんな事が書かれてあるのを見て、思わず笑みがこぼれた。

「りゅうさんへ いつもおいしい水をとどけてくれて ありがとうございます。私はよくりゅうさんのお水をのんでいます。これからもおいしい水をとどけるのを がんばって下さい あや(仮名:名前はモザイク掛けました)」

そして、元通り、丁寧に折りたたんで竜の脇に挟んで立ち去った。

紙がこすれて穴が開いているのは何故だろう。
恐らく、この紙を見つけたどの人も、この子供の心温まる感謝表明に感心して、私の如く元に戻したからだろう。それを思うと、それらの先人の優しさにも何だか心温まる。

素朴な信仰心と言うべきである。
こうしたところから偶像崇拝的な信仰が発生するのだと思う。
無理からぬ事であり、純真な信仰心はそれを否定してはいけない。
というわけで、私は以下のように彼女を諭そう。
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でもね、 あやちゃん(仮名)。
竜さんはね、御本尊様にお参りする人が喜ぶように、お水を運んでくれているんだよ。
だから竜さんは御本尊様にお参りする人がいっぱい増えるのが嬉しいんだ。

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客殿でも竜さんが御本尊様にお参りする人をお出迎えしているだろう?
あやちゃん(仮名)も御本尊様にいっぱいナムナムしようね。
そしてお友達をお寺に連れて行こうね。
竜さんもそれを喜ぶと思うよ。

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日亨上人曰く
孝は百行の基本、最も勧め易し、且く追善祀祭の易行より、漸く信行成仏の難行に引入する方便道として位牌を安置し如在の礼を尽さしむるも亦止むを得ざるの順路なり、為人・対治、之に準じて知るべし、漫(みだり)に第一義にのみ止まりて位牌造立を無用とし追善孝養の為めに位牌神座を安置する底(程)の信行の嫩葉を傷くること無くんば幸なり。(化儀抄註解7条)

一般の位牌は先祖を神の如く崇拝する対象物であって、御本尊を信仰する我々には無用の物である。先祖は御本仏の御利益によって追善供養がなしえるのであって、先祖の亡霊が私達に福を与えてくれるわけではない。だから、御本尊だけを信ずればよい。・・・というのが信仰の本筋なのだが、上記で日亨上人は、そうとはいえ、「先祖が有り難い」という気持ちは世の荒くれ者と比せば上等である。四悉檀を用いてその有り難いという気持ちを、育てて御本仏への報恩感謝へ導くことが大事であり、「嫩葉を傷くる」若葉を台無しにしなければいいが、と折伏の中の摂受というべき指南を残されている。

浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。(阿仏房尼御前御返事906)

とはこの意であろう。

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