先日発射された国産小型ロケット・イプシロンは自分自身で異常がないか点検するんだそうです。
翻って、私たちの信心も、それと同じように、何か信心について指摘されたら、その点だけではなく、信心全般について自ら点検をする事が大事です。
例えば勤行態度で一つ注意されたら、合掌はちゃんとしていたか、声は出ていたか、御本尊様を見ていたか、他の人と調子は合っていたか、背筋は伸びていたか等を全てチェックし治すことが信心を深める要訣です。
宗教を表す英語にreligion(レリジョン)という言葉があります。ある説明によると、これは「~を縛り直す」という意味で、外来語ですから、ここではキリスト教の神に自分を縛り直すという事を意味するんでしょうが、まぁ教えに自らを律するということは宗教全般に共通して言えることではないかと思います。
大聖人様は、「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と仰せられています。これは大聖人の仏法を物差しとして、これに自分の心を律して行きなさい、という意味です。
日頃から、こうした態度に努めていくと、知らず知らずのうちに一生成仏の大果報に与ることが出来るのであります。
貪瞋癡三毒というのがありますが、貪りの心、怒りの心、愚かな心、これらが私たちの命を濁らしている、と言います。
例えば働かなきゃイケナイのに遊びに行ってしまう。他の人が困っているのに、そして自分は十分あるのに、独り占めして他を顧みない。激高して見境をなくし、攻撃して大事な者を失ってしまうなど、です。本尊抄には「怒るは地獄」ともお示しですね。
けれど一方、これを断じきってしまうと、これもまたイケナイのです。
幸福になりたいという願望、不正に対する怒り、正法を素直に聞く耳などはやっぱり貪瞋癡が要素と成っているのです。
世の中に不必要なものは何もないのです。
これら貪瞋癡を良い方向に活用していけるのが、日蓮正宗の信心であります。即ち仏様の御悟りである南無妙法蓮華経の御本尊様へ南無妙法蓮華経と唱えていくことなのです
これなくしての生活は、貪瞋癡の悪作用によって日々苦しみに満ちたものとなるのです。
大石寺9世日有上人の『化儀抄』に、
「信と云い血脈と云い法水と云う事は同じ事なり、信が動ぜざれば其の筋目違うべからざるなり、違わずんば血脈法水は違うべからず、夫れとは世間には親の心を違えず、出世には師匠の心中を違えざるが血脈法水の直しきなり 高祖已来の信心を違えざる時は我等が色心・妙法蓮華経の色心なり、此の信心が違う時は我等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず、一人一日中、八億四千の念あり念念中の所作皆是れ三途の業因と(文)。」(27条)
とあります。御本仏日蓮大聖人様から大石寺の歴代上人を通じて現代に伝わった信心、(それは御法主上人の指導に添った信心に他なりません)その信心の在り方を違えずに、信心に励むとき、はじめて私たちも大聖人様と同じ仏様の境涯に身を置くことが出来るのであって、この信心に依らないときは、一挙手一投足の全てが苦悩の原因となっていく、のです。と経文を引いて説明されています。即ち「一人一日中、八億四千の念あり念念中の所作皆是れ三途の業因」というのがそれです。
三途とは火途・刀途・血途のことで要するに地獄・餓鬼・畜生の三悪道を意味します。日蓮正宗の信心に依らない生活は三悪道に堕した苦悶のものとなるのです。
ですから、日蓮正宗の信心をしないとイケナイのです。
日蓮正宗寺院(勿論当坊も含む)で御授戒を受け、信心をしましょう!
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イプシロンが発射された頃に書いた記事の復刻
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