http://www.sankei.com/affairs/news/151222/afr1512220005-n1.html
今朝、テレビで「割れ窓理論」を紹介していた。どこかの愚者が未明に住宅地で赤スプレーで落書きをしていたことに関連してだ。玄関の戸に赤スプレーの汚い字で「ばか あほ」等書き殴られた住人の怒りは如何ばかりであろう。
さて、「割れ窓理論」(Broken Windows Theory)。
これは以前から知っていた内容だ。要するに、街中で一つ硝子窓が割れた状態で放置しておくと、そこから様々な犯罪が呼び込まれ、治安が悪化する。だから、治安を良くしようと思ったら、落書きや壊れた窓をそのままにするのではなく、直ちに直すことだ、というのである。
それを聞いて思ったことは、これは信心も一緒である。
例えば、昨今は世間がクリスマスだ、メリーメリーと愚かしくも羊か山羊のように叫んで浮かれ回る季節だが、如何に世間に定着しようとも、邪教の祭りは邪教の祭りである。
目くじらを立ててクリスマスや灌仏会、どんど焼きなどを謗法だと言わなくても良いじゃないか、などと言っていると、自分の心の中に謗法の芽が生えるのである。
少しの謗法も看過してはいけない。大聖人様は阿仏房尼御前御返事に、
譬へば海上を船にのるに、船をろそかにあらざれども、あか入りぬれば、必ず船中の人々一時に死するなり。なはて堅固なれども、蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し。謗法不信のあかをとり、信心のなはてをかたむべきなり。
(阿仏房尼御前御返事906)
堅牢な船でも、水(あか)が入ったら沈んでしまう。田んぼの土手(なわて)が堅くても蟻の穴でも空いていればついに決壊してしまう。だから、これくらいのことは謗法にならないだろう、というような勝手で甘い考えを捨てて、大聖人を仏様と頼み、大御本尊こそ大聖人の魂よと信心に励むべきである――、と仰せである。
だからこの時期大きな声で言っておこう。
クリスマスはダメ、絶対。と。

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御本仏大聖人様の法魂まします大石寺 (写真は奉安堂東手にある新六万塔)
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