最近人と会って話すことが三度程あって――、勿論、話とは信心をしましょう、という話な訳だが、何か信心をしてますか?と尋ねると、三人とも禅宗だった。
いや、自分が積極的に信心をしているというわけではない。ただ実家の菩提寺が禅宗だという事だ。
そういうわけで、禅宗について色々話をした。今日はそれを整理してまとめて見ようと思う。
まず、禅宗とは仏法もどきであって、仏法ではない。
それというのは、仏法とはインドで起こり、釈尊の教えを梵語で書きとめたお経が、中国に伝わって中国語、即ち私達が現在目にする漢字のお経に翻訳された。
ところが、禅宗が依経としている経典はインドになく、中国で成立したものである。これは偽経といって、仏教にこと寄せた仏教でも何でもない邪教なのである。
また、禅宗は以心伝心・不立文字などと言って、お経を軽視する。
学校の授業で先生が、「ハイ教科書の何ページを開いて!」と言った時、「教科書は要らない」といって読もうとも開こうともしない生徒が居たとしたら、先生の伝授する教科内容を受け取ることが出来るだろうか?禅宗が主張する不立文字・教外別伝とは要するにそういうことなのだ。
本来が仏法ではないので、お経に書いてある内容が自分にとって不都合なのだろう。だから、お経自体は「イラナイ物なんだ」と決めつけ、訳の分からぬ禅問答をして得々としている様は決して誠実とは言えない。
そして何故か、葬儀などで「法華経」を読んだりする。定見が無く、いいとこ取りのいい加減な宗教なのです。
禅宗は、仏様の頭を踏んでいけ、などというキチガイの教えである。
仏法を信ずる者は仏を敬うのである。所が、禅宗はその仏の頭を踏んでいけ、と言うのですからキチガイと言わざるを得ません。「直蹈毘盧頂上行」
そういう邪教だから、それを信じると害毒が「罰」として身に降りかかる。
自分は積極的に信じて居ない、などと言っても、そこの檀家だと言うだけで、その邪教たる禅宗を肯定していることになる。また年に何度かお布施もするだろう。それはその邪教たる禅宗を助けていることになる。仏法でないニセもの邪教を尊ぶと、その邪教の狂った心が自分にも染みついて、様々な罰を被るのである。
大聖人は人が邪教を信ずると、その邪教に命を吸い取られてその人は元気がなくなる。命が短くなると言われている(食物三徳御書・趣意)
真理である仏法に背くので、苦労が実らず、空回りの生活になる、
禅宗の教えのように、自分の考えで何でもやっていくんだという姿勢になり、他との軋轢を生じ、修羅の命になる。敗北して地獄の命になる。
先祖伝来の宗教だから、などと消極的ではイケナイ。邪教に気づいた人が変えないと。
オレオレ詐欺でね、例えば数百万円だまし取られた老婆がいたとしよう。しかし老婆が「私ゃ騙すより、騙されてる方がマシだよ」といって泣き寝入りをしていたらどうだろう?自分は自己満足できるかも知れないが、だまし取られた金は反社会的勢力に使われて、結果的にみんなの不幸に費やされるんだ。
だから、自分は親に逆らえないし、菩提寺の禅寺との関係がこじれるのも面倒だし、改宗は出来ない、などといっていてはいけない。
先祖の命は必ずあなたにも受け継がれている。あなたが正しい仏法を信ずれば御先祖も必ず喜ぶ。子孫も必ず繁栄する。
あなたと御先祖は繋がっているのです。いわば体の一部だと思いなさい。おいしい物を食べて舌が喜んだら、身体全体が「おいしい」と思うように、子孫のあなたが正しい仏法を信心修行したことによって仏様から功徳利益を頂いたなら、それは自分のみならずかならず御先祖さまにも通ずるのです。
人間は、死んだら目が覚めるのです。本当に正しいこととそうでないことに死んでから気がつくのです。何故って、邪教に執着していると地獄に堕ち、地獄の獄卒・閻魔大王に責められますからね。今は亡き御先祖も、翳眼にして生前邪教を信じてお布施をし、子供達へもこの邪教を継ぐよう遺言して生涯を閉じたかも知れない。
けれど、これまで述べてきたように、禅宗というのは仏法でもない、キチガイの邪教である。それを改め得なかった御先祖様はお気の毒ながら死後の責め苦を受けているのは間違いない。あなたが先祖伝来の宗教だから改宗できない、というその言葉は必ず御先祖に幾千万の剣となって突き刺さるのです。
だから間違った宗教だと気がついたあなたが、この流れを止めなければならない。
魂は聞いている。
今日、私はあなたに残酷な仕打ちをしたかも知れない。というのはあなたがいくら耳を塞いで、禅宗は間違った邪教である、という私の声を聞くまいとしても、あなたの魂は必ずこれを聞いてしまっている。聞かなければ、知らなければ安穏にいられたかも知れない。けれども、聞いてしまった以上は、間違った邪宗たる禅宗に帰依を続けていくことは、正しい仏法が他にあると聞いたあなたの魂に反することになる。そうするときっと心身の破綻が生じるでしょう。
自発的に御題目を唱えてご覧なさい。
今、あなたは私に促されて、日蓮正宗の御本尊に向かって「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えたでしょう? でもこれじゃダメなんです。自分の意志で御題目を、騙されたと思って唱えてご覧なさい。必ず何かが変わってきますよ。
今日うちに帰って、大石寺の方へ向かって自分の意志で「南無妙法蓮華経」の御題目を5分でも10分でも良い、唱えてご覧なさい。きっと流れが変わりますよ。
でもそれだけじゃダメ。日蓮正宗に入信しないと、本当の功徳は頂けません。
今ここにいるのも過去からの因縁によるものです。この因縁を大事にしてゆけば、易々と成仏の境界に至ることが出来るでしょう。
どうです?今入信しませんか。今この判断があなたの命運を左右するんですよ?
参考:蓮盛抄(御書26頁)
現代の法華経たる大御本尊まします霊場・大石寺(写真は御影堂)
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