謗法厳誡

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謗法厳誡

過日はバングラデシュで邦人七名を含む二十二名が犠牲となるイスラム過激思想犯のテロ事件がありました。
大変痛ましい事件で、実行犯を踊らせた犯人に憤りを覚えると共に、犠牲になった無辜の人々のご冥福をお祈りします。
大聖人が御書に度々引用される涅槃経の文に、
「菩薩摩訶薩悪象等に於ては心に怖畏すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。何を以ての故に。是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能はず、悪知識は二倶に壊るが故に。(中略)悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三悪に至る。是の悪象等は但身の怨と為る、悪知識は善法の怨と為らん。是の故に菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし」
守護国家論一四九
とあります。今回の件は言わば三世の生命の見地に立てば悪象に殺されたようなものであり恐れるに足らぬことであると言えます。最も恐ろしいのは、悪知識に染まって仏法を誹り、正法に背反することなのです。それは自らが墮地獄の因縁を積むことになるからです。
また、
「老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」
妙法尼御前御返事一四八二
とも仰せのように、死はいつ自分に降りかかってくるか分かりません、そうであるならば、いつか信心を頑張ろう、ではなく「自分は今日死ぬかも知れない」と思って毎日を健康で無事に過ごせることを御本尊様に感謝して、勤行唱題折伏に勤しむ事が大事であります。
間違ってもテロリストに命乞いをしてコーランを唱えるような信心をしていてはいけません。法華経には
「若し復人有って、当に害せらるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖、尋いで段段に壊れて、解脱することを得ん」(開結五五八
と御本仏の大慈悲が観音菩薩として現れ、その守護により迫害者の刃がポキポキと折れるのだと書かれてあります。
まさに頚を切られんとした大聖人が難を逃れた竜の口の不思議な現証がこれでありましょう。
凡夫がこうすれば助かるだろう、という方法は必ずしも正解ではなく、反って信心に照らして死地とも思える選択をした方が命が助かるものであります。
そういう判断を養うためには日頃から信心に励み、謗法はダメなんだ、と決然と破折すべきであります。


本種坊だよりH2807号より

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