日顕上人の御指南で次のようなものがあります。
最後に申し上げたいことは、法統相続が大切であるということであります。
親が子供に 対して、いったい何を贈るのか。もちろん色々なものを整え、様々な資具、あるいは勉学の機会を与え、資金を与えて成長を期することでしょう。
しかし、それでどうなるかといえば、
「あんな親不孝な子供になるのであれば、今まで面倒を見るのではなかった」
というような後悔を持っている親もいるということを時々、聞くのであります。
親が本当に子供の幸福を思うならば、大聖人様の仏法の信心を、命を懸けて教えていくということが一番に大切だと思うのであります。これをおろそかにしている人が、わりに多いように思います。
背いておる子供、孫の姿、これは全部、自分の信心の姿を表しておるのであるということを深く考えられるならば、この一瞬から本当に御祈念をされることが大切であります。そして、その時その時の、時に当たっての信心によって、その功徳が顕れるのであります。
また、それによって必ず、
「祈りとして叶わざる無し」(日寛上人御書文段一八九㌻等)
という妙法の功徳を、皆様方が本当に体験されることを信ずるのであります。
(平成17年 法華講連合会第42回総会にて 大日蓮711 平成17年5月号58頁掲載)
とかく若い内は、様々な可能性に胸を膨らませ、世知に長ければ世の中渡っていけると安易に考えるかもしれません。
しかし それはあたかも太平洋に小さな小舟で意気揚々と漕ぎ出すようなものです。
天気の良い日ばかりではありません。嵐やサメや、強烈な日差し、飢えや体調悪化など たちまちの内に困難に見舞われ、死ぬ思いをするのであります。
きっと必ず世の中には不条理なことが沢山あると思い知らされるでしょう。
どうして自分だけこんな目に遭わなければならないのか、と天を呪うこともあるでしょう。
それは末法という極悪の世に生を受けたにもかかわらず何の装備も持たずに飛び出したからなのです。
末法という、極度に慌乱した世の中を照らす唯一の大灯明こそが日蓮大聖人の御教えであり、大御本尊様への信心です。
この信心に励むならば、どのような苦難も自分の糧として悠々と乗り越えていけるのです。
この宝を子供さんに持たさないでどうしますか。
まずは親であるあなたが、信心に徹し成仏の姿を示したならば、必ず子供さんもこの信心の偉大さに気が付く筈です。
因果応報の正しい物の見方が出来れば他者を呪うこともありません。
自分を振り返れば、様々な恩恵によって今まで生きて来られたと言うことにも気づくでしょう。
この信心を学び、修行することによって、自ずとそうした境界に進むことが出来るのです。
コロナで外出できないなら、しっかり勤行唱題をし、大いに子孫へ信心の話をして下さい。
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