節分会のお話 

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2022/02/03節分会 法話 
 節分会に御参詣下さり真に有り難うございます。
例年、節分会は大坊(大石寺)の御堂で御法主上人の大導師で盛大に行われ、お経の後、豆のほか甘酒や福茶が振る舞われていましたので、本種坊としてはウチウチでお経を上げて、形ばかりの豆まきをしていました。
しかし、ここ2年はコロナ対策で大坊の節分会に御信徒の参詣は中止となって淋しいものとなっていましたので、今年は本種坊としての節分会を行事予定に掲載し、皆様にも周知した次第であります。本日は厄払いの願い出もありましたが、今後はこの節分会を、未入信の人達も気軽に参詣出来るような行事とし、布教の一助としてゆきたいと思いました。

さて、少々お話し申し上げます。
そもそも一年というものは、太陽暦で元旦、太陰暦で小正月、学校では新学期、節気でいうと立春、から始まることになって居ます。
 その内の本日の節分とは節を分けると書きますが、二十四節気という一年の立て分けの上で、その最初となる立春の前日でありまして、冬が終わり新しい春が始まるという意味があります。
 年末には皆さんも大掃除をして、新年を迎える準備をされたと思いますが、本日はもう一つ別の大晦日とも言える日であります。
 神社などでは新しい一年を迎えるのに、それまで蓄積された罪汚(ツミケガレ)れを払い、お祓いや鬼は外と豆まきをするらしいですが、高等な仏教では一切皆成といって、誰でも彼でも救われるんだ、成仏出来るんだと説きますから、コイツは敵だからやっつけてやるんだ、存在自体が悪なのだ、という立場の人は存在しないのであります。ですから例え鬼であっても、あっちへ行け!と、のけ者にはしないのです。
 しかしそうではあっても私達は拙い凡人でありますから、お題目で磨き抜けば仏様になれるかもしれませんが、十四誹謗といって、この身この侭では常に謗法を犯しつつある未熟な存在であります。
 ですから、常精進・常に勤行唱題を初めとした信心修行をもって過去現在の宿業を消して行っているのであります。
 日蓮大聖人は、
「されば「七難即滅七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり」(持妙法華問答抄・二九九)
と仰せですが、苦しみたくない、助かりたい、と願うにしても、正しい仏法に願わなければ意味が無いのです。此の経、即ち法華経、現代にあっては御本尊様に真剣に祈らなければ叶うものも叶わないのであります。
 またこの世の中は大きな船の様な物です。皆で一致協力しなければ、目的地にはたどり着けないのでありまして、自分さえ良ければそれでよしとしていてはイケナイのであります。どこかの酔っ払いが船底に穴を開けたら、悪人共々に海に沈んでしまうのであります。
 今のコロナ感染症の大流行や、武力衝突の危機、噴火や異常気象などの天変地夭、これら憂うべき事態はまさに、乗った船が沈みつつあるようなものです。酔っ払いの目を覚まさせ、共に浸水を防いで、水を掻き出さなければ、助からないのです。即ち自分自身が一生懸命の信心を貫くとともに、まだこの信心を知らない人へ伝えていく、教えていくということもまた欠かせないのです。
 さて大聖人が四条金吾さんの奥さんに宛てた手紙に、
「三十三のやく(厄)は転じて三十三のさいは(幸)ひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわか(若)うなり、福はかさ(重)なり候べし」
(四条金吾殿女房御返事・七五六)
とありますように世間で言ういわゆる厄年というものに言及されていますように、人体には肉体的、精神的に不安定になる時期がどうしてもあるのであります。
 しかしどのような状況下にあっても、この御本尊様への信心を途絶えさせず一層篤くして行ったなら必ず乗りこえることが出来ます。
大聖人様はこの信心に励んだならば、厄も幸いに変わるのだ、と教えて下さっています。
 要はしっかり信心をする、自分だけでなく人へも伝えていく、という活動を実際にするか否かにかかっているのであります。
 私達の信力・行力に必ず仏力・法力が加わり、どんな難局も気が付けば霧がさーっと晴れていくように無くなっていくのでありますから、明日から春というこの節分を期に一層の精進を決意して参りましょう。
晩にも関わらずよく御参詣下さいました。以上でお話を終わりにしますお気を付けてお帰り下さい。

節分会の様子

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