本物でなければ意味がない

以前ラジオを聞いていましたら、
エジソンが1%のひらめきと99%の努力と言ったのは、努力を褒めているのではなくて、1%のひらめきがなければ、99%の努力も無駄だよね、という意味だった、という内容を話していました。
ちょっと驚きましたが、しかしこれは日蓮大聖人の仏法についても同じ事がいえます。
日蓮大聖人は
南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。此れにものをならぶれば、きさきのならべて二王をおとことし、乃至きさきの大臣已下になひなひとつぐがごとし。わざわひのみなもとなり。(上野殿御返事1219)、
と仰せられまして、この南無妙法蓮華経こそはお釈迦様の教えのエッセンスであって、ひとで言えば魂のようなものであります。もしこの南無妙法蓮華経に別のものを添えたならば、王女様が二人の王様に重婚し、或いは王女様が大臣以下の男に夢中になるようなものであって国が乱れる根本であります、
「妙楽釈して云はく「若し正境に非ずんば縦ひ妄偽無けれども亦種と成らず」云云。爰に知んぬ、法華以前の諸経は権法を説き交ゆるが故に、塵劫を経歴して受持すとも仏種となるべからず、仏智を説き顕はさゞるが故なり。仏智を説かざるが故に、悪人女人成仏すとは云はず。」(総在一念抄114)

と仰っていて、本当の種でなければ、いくら水や肥料を上げても無駄なんだという意味を示しています。

そういえば、『法華証明抄』に、
過去に十万億の仏を供養せる人なり(中略)法華経計りをば用ひまいらせず候ひけれども、仏くやうの功徳莫大なりければ、謗法の罪に依りて貧賤の身とは生まれて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。(1590)

とありまして、これは、法師品(開結319)に
薬王、当に知るべし。是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就して、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ずるなり。
とあることを指して仰っているのだけれども、大聖人の意によれば「法華経計りをば用ひまいらせず候」つまり、十万億の仏といっても権仏・方便の仏今で言えば大日如来や盧舎那仏、薬師如来など釈尊の舌の上から生まれた本当ではない仏を供養したのであって、厳しく言えば「謗法であった」、という事になる。

即ち、過去に十万億の仏を供養したといってもそれは謗法だったのである!

と言えましょう。

エジソンは1%のひらめきこそ重要と言い、99%はムダと言いましたが、
成仏に限って言えば、真実本当に正しい御本仏様の顕された御本尊様を信じなければ、その他のどのような労力、信心、こだわり、思い込みも成仏には全く寄与しない、という事です。
むしろ
「謗法の罪に依りて貧賤の身とは生まれて・・・」というのは毒鼓の縁であり、正法を謗ったにせよそれも逆縁で「縁」には違いありませんから、その縁を元にして将来世に仏法に巡り会うことが出来たのである。との意味でしょう。

それが、現在末法の私たちなのです。

過去の業因か現在進行形で正法を謗り続けている人、

過去に謗法の逆縁を結んで今世にようやく正法に巡り会い順縁を開花させる人

じつはどちらも紙一重なのだと思います。

要は素直に信ずるか信じないか、のたった一点の差でありますが、これはゼロと一、存在と不存在の違いほど雲泥の差であります。

ですから、まず、信じてみましょう。

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