神仏の功徳利益を被るためには正しいことを行わねば成りません。

一言御挨拶申し上げます。
只今はM下M子事K正院妙R信女の葬儀につき、法華本門の御本尊に懇ろに読経唱題、引導申し上げました。御弔問の皆様にも、読経唱題を捧げられ、定めしK正院も喜ばれているものと存じます。
神仏と申しますのは須く、正しいこと、正しい行いが広まることを喜ばれます。とかく宗教と申しますと、願掛けや、自分の一族が健康で幸せで円満でありますようにと自分中心の考えでやる人が多いです。それも結構なのですが、しかし本当に神仏の功徳利益を被るためには正しいことを行わねば成りません。
例えば死にたくないと願う、これは生者必滅の道理に反しますから絶対に叶わぬ願いです。これは自分が主体となって現れた望みでありますから正しいとは言えないのであります。
世の中の正しいという事を見極めるには相当の智慧が必要となります。しかし末法の世にあっていくら科学技術が進歩したとしても、世の中の真理に通じ達した本当の智慧というものは凡人である我々は自分で手にすることは出来ません。
この世の真理には及びませんが、匠と呼ばれる職人の技を会得するにすら、その門に潜らねば成就することはできません。門外に出たマニュアルを学んだとしてもやはり先人の指導の下、正しく実践しなければ会得することは至難であります。
況んや、世の最も正しい在り方・真理を知るにはやはり森羅万象に通じて悟りを開かれた仏様の教えを信ずるより他に道はないのです。
 その仏法の精髄・根幹こそが、今皆様方が読経唱和された法華経であり、南無妙法蓮華経の信心なのです。K正院は、死期の迫っていることを悟ってこの南無妙法蓮華経の仏法に精励されました。これは三世十方の仏様が喜ぶ、誠に立派な最期であったと思います。
 故人がこの世から居なくなったのは淋しいことですが、ご会葬の皆様が正しい教えに縁することが出来たならば、故人への何よりの供養と存じます。ぜひ最後までお題目でお見送り下さるようお願い申し上げます。以上

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