4人の妻の例え話

お久しぶりです。おはようございます。本種坊です。

お元気でしたか。勤行はしてますか?

さて、先日あるところでお話しした内容を以下にご紹介します。

====================

 最近の世相では、今がよければよい、自分さえよければそれでよい、という刹那的な考えが横行しつつあるように思います。

しかし仏法では命は今世だけでなく、来世へもずっと続いていくものであると明かしています。

善因善果悪因悪果という因果の道理は、死んでも生まれ変わっても必ず貫かれていくのであります。

 四人の妻というお話を致しましょう。

 あるところに四人の妻をもつ男がいました。第一夫人は彼と常に一緒に暮らし、何の不自由もせず、とても可愛がられて居ました。

第二夫人はとても美人で、彼が口説きに口説いてやっと手に入れた奥さんです。それで彼は第二夫人がいつか浮気をするのではないかと常に心配でした。

第三夫人とは一緒の生活はしていませんでしたが、気心の知れた仲間のような関係でした。

第四夫人は夫婦ではありましたが、殆ど気に掛けられることもなく、彼にとって影のような存在でした。

 さて、ある時、男は仕事で遠くの国に行かねばならなくなりました。

当然お前もついてきてくれるよな、と第一夫人に言いますと、第一夫人は、

「行くなら一人でお行きなさい、私はそんなところへは行けません」と最初から断られました。

次に声を掛けた第二夫人も「第一夫人が行かないなら、私も行きません」と断られました。

第三夫人からは、国の境までお見送りしましょう、でも一緒には行けませんとやっぱり断られました。

そして最後に、第四夫人を誘ったところ、彼女だけはどこまでも一緒について行きましょうと承知してくれました。

男は大変喜んで、今まで大して気にも掛けていなかっ彼女こそ一番大事な妻だったと気がつきました。

 これはたとえ話です。4人の妻は何を顕しているかというと、まず男が旅立つのはあの世です。

 第一夫人は人間の肉体を意味します。死んだら肉体は残りません。

第二夫人は地位や財産、これもあの世へ持って行けません。

第三夫人は家族親族、友人。死を悲しみ供養してくれますが、一緒にあの世についてきてはくれません。

例え心中したとしてもあの世では一緒に居られません。

 ではどこまでもついてきてくれると言った第四夫人は何かというと、これは人間の業です。心です。

即ち自分が死んだ後、最後の最後までもっていけるのは自分自身の心でしかないのです。

 しかしこの心・業というものは、普段、男が少しも第四夫人を顧みなかったように、日常で意識することがあまりありません。

 人間は放っておくと少しでも楽な方へ楽な方へと転がっていき、その心もどんどんどんどん汚されていきます。

 中々自発的に人としての德を高く積もうとは日々の生活の中で思い立ちませんし、思い立ったとしても、世の中の様々な価値観に晒されて、例えば世の中お金が全てだ、とか情愛こそが大事だ、とか健康が第一だ、とか、やられる前にやれ、とか実に様々な価値判断があって、それに囚われてしまうと大所高所からの円満な見方が出来ません。

 極端なたとえですが平和時には人殺しは罪ですが、戦争の最前線ともなれば敵をやっつければ勲章ものです。

事程左様に世俗の善悪はあやふやなのです。

 そうであるところ、この世の全ての実相を悟られた仏様だけが、あの世に行っても決して同ずることのない心を育んでくれるのです。ですから仏法を信じ修行する、これこそが最も正しい善なのです。

私たちが最高の人徳を具えるには、仏様の教えを信じて実践するしかないのです。

日蓮大聖人さまは

一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。 (一生成仏抄四六)

と南無妙法蓮華経のお題目を、南無妙法蓮華経の御本尊に向かって唱えることで心が磨かれていくのだと教えてくださっています。

 仏法と一口に言っても八万四千の法門と言うように膨大な教えがピンからキリまであるわけですが、そのピン、最高の教えこそが南無妙法蓮華経なのです。

 いわば南無妙法蓮華経は仏法の正体でありナンバーワンなのです。そこで南無妙法蓮華経ではないナンバー2以下の教えは寧ろ最高の教えを阻害する有害な教えなのです。

 例えば、新幹線。時速およそ200kmで走っているところに、助太刀致す、とて、最高時速八〇キロの一般車両を継ぎ足したらどうなりましょうか。何の助けにもならないどころか足を引っ張るだけで、かえって有害ということになります。

ですから、南無妙法蓮華経の信心はとても尊いのです。有り難いのです。

 ただいま共々に御本尊様にその南無妙法蓮華経と唱えました。この大善行は功徳となって自分自身に積み重ねられ、そしてその一分が自分の周囲、物故者にも手向けられるのでありまして、これによって初めて今は亡くなられた冥福をもたらすことが出来るのであります。

 今後も一層信心に励まれまして自他共に功徳善根を積まれますよう念願致します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました