20260329お話

おはようございます。
 この度は遠路の所、無事御登山なされまして、そして本日は御開扉をお受け取りになります事、真におめでとうございます。
 今御覧の通り本山は桜が満開でして、寂光土もかくやあらんというほどの絶景でありますが、

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世界に目を転ずると中国ロシアにつづいてアメリカまでが国際法を無視した実力主義を発揮して、戦乱の不幸を生み出しています。
いつも読んでる自我偈に、
「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」 (開結四四〇)
とあります。人々が、もうこの世は終わりだー、と絶望の淵にある時も、この信心をしている人の心は安穏にして(人徳を力の源とする)神様仏様がご機嫌麗しくお過ごしになっている、ということでとても心強く有り難い事であります。
 しかし信心さえしていれば自分だけは絶対に守られる、だから例え何があっても大丈夫だ、などと思ってばかりは居られません。
 大聖人様は
「一切衆生の同一の苦は悉く是日蓮一人の苦なりと申すべし」(諫暁八幡抄一五四二)
と仰せになられています。また、
「総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ」
(四菩薩造立抄一三七〇)
と仰せでありますから、この信心をしている人、即ち大聖人の弟子信徒であるならば、他人の苦しみも我が苦しみと受け止め、これを救っていく信心が求められるのです。
『三大秘法抄』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」 (三大秘法抄一五九五)
とあります。
末法の私たちは自行の題目ばかりではなく、化他行である折伏も行っていかなければならないと仰せなのであります。
 それは折伏は慈悲の現れであるからでして、
「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり。彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」
(章安の言葉:開目抄に引用五七七)
といいますように、まだこの信心を知らない人、謗法の人はいづれ悪道に、ひいては無間地獄に、落ちていってしまうのです。
 それを知っていながら、正しい仏法を教えてあげないと言うことは、これほど無慈悲なことはありません。
 況や、信心のことを言うと角が立つからと、信心のことを言わずに、表面的に親しい間柄としてお付き合いをする、というのはやはり「詐り親しむ」ということであり、これはその人にとって怨となることなのであります。
 創価学会は間違って居るんです、神棚は謗法です、日蓮正宗の信心でなきゃダメなんです、ということを声を大にして縁ある人々に伝えていくこと、伝え続けていくこと、が折伏なのであります。
 どうか、「あの人は会うと必ず信心の話をするなー。」と人に認知されるくらいにこの正法の素晴らしさを縁ある人人に語って下さい。
 道ばたの鳥にまで説法をしたというキリスト教の聖人が居ましたが、説く教えが邪教では仕方がありません。正法を伝持する私たちこそが鳥にも説法をするぐらいの熱心さを持とうではありませんか。
 折伏というとどうも、ある一人の人を説き伏せて御授戒を受けさせて入信に至らせるというような大それた事を考えるかも知れませんが、しかしそれは今言ったような日頃からの小さな小さな信仰のつぶやきが、(あるいは叫びが)積み重なって、その結果として一人の入信者、一家族の入信に至るのであって、例えば仏縁のある人ならば、たった一言で入信を決意する人も居ます。しかしそれは非常に稀なことであって、やはり折伏は無数の下種活動の上に実る数少ない成果なのであります。
種も蒔かないのに米が取れるわけはありません。これは道理であります。ですから大いに種を蒔いていただきたいのであります。
 昨日二十八日はもう一つの立宗会である、立宗内証宣示の日でありました。今、私たちは御本仏大聖人様が初めて胸の内に「南無妙法蓮華経」を弘宣しようと決意された時から七七三年目を迎えます。
 この間、戦乱の世もあったでしょう、お上の規制で自由に信心が出来なかった時代もあったでしょう、しかし脈々と今日まで御歴代上人を筆頭に、信心の先人達は日蓮大聖人の正しい南無妙法蓮華経を伝えてきたのです。
「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」
とは福沢諭吉の言葉だそうですが、そもそもこの世は謗法が蔓延っているのです。夏の日に草抜きを止めてしまったら草ボーボーになってしまうように、恒に謗法厳誡、折伏弘教に努めなければ、現状維持すら出来ないのです。
 結果的にみるならば、七七三年もの間、この信心を伝えてきた先師先達の信心の覚悟と努力はもの凄いものであります。その強い信心の要は一に掛かって「師弟相対」であります。
 今回皆様は御住職さまと共に御登山に臨まれ、大変目出度く、御同慶申し上げます。
 よく私たち坊さんの間では「謦咳に接する」ということを言いますが、御住職様に近づき色々なご指導や振る舞いを目の当たりにするということは非常に大切なことなのであります。
「須弥山に近づく鳥は金色となるなり」
(本尊供養御書 一〇五四)
と言われますように、信心の根本である本門戒壇の大御本尊様へ御開扉を頂く事は無始の罪障を消滅の方向へ転換する大功徳を頂けます。これも偏にまた皆さんにこの功徳を得させたいという御住職の御慈悲によるものなのであります。
 或いは年度末で忙しかったかも知れません、そのような中、ようこそ御登山なされました。
 求道心、(道を求める心)というのは自分の家にずっと居ると中々わき上がっては来ないものです。何故ならば食うところ寝るところに不自由がなければ取りあえずは安寧に暮らすことが出来るからです。
しかし、
「賢人は安きに居て危ふきを欲ひ、佞人は危ふきに居て安きを欲ふ」
(富木殿御書一一六八-八)
と言いますように、取りあえず不自由がなければそれでいいや、という考え方では生死の苦海は越えがたいのであります。

 皆さん方はそれぞれ死ぬまでこの信心を貫きたい、と思われている方ばかりだと思います。
 されば、臨終の際に「私は精一杯信心をした」と大聖人様に言える様に、一日一日を、一年一年を抜かりなく、自行化他、折伏育成法統相続の信心に励んでいきましょう。
 信心をする人はともどもに仏様です。
現在世界の人口は八十二億人だそうですが、広宣流布が達成されたならば、八十二億人の仏様が住まう星となるのです。どうしてそこに戦争や自然災害があるでしょうか、
何千キロも離れたイランやガザやウクライナの戦乱に私たちが何をどうできるかと思うかも知れませんが、千里の道も一歩から、小さな事からこつこつと、本日の御登山を契機に常日頃の折伏布教に心がけて参りましょう。
この信心は正しいのです。
どうか皆様にはその事を誇りに思って今まで以上に菩提寺に参詣し、御住職の謦咳に接していって下さい。
 皆様方の愈々の信行倍増を御願いいたしまして僭越ながら本日のお話とさせていただきます。


以 上

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