!!!『祖道』H1912号より  ところで、来月は、記念局の特別御供養の受付があります。  御供養について、総本山大石寺のY野総代(故人)の奥さんで、観行坊支部婦人部長のY野幸子さんの次の手記があります。  私(Y野)は御供養の話がある度に、青年部時代に所属していたお寺の御住職様のご指導を思い出します。それは、昭和三十年前後の静岡県清水の妙盛寺(故秋田慈舟師 S40頃寂)での事でした。  私がお寺に住職として着任してまもなく、一本の電話が入った。 「遠い所ですが、主人が亡くなったので、お葬式をお願いします」 とのことだった。  次の日、どしゃ降りの雨の中を、汽車で金谷まで行き、金谷から駿遠線に乗り換え、終点で降りて、又一時間ほどバスにゆられて終点で降り、そこから四、五十分、家一軒もない山道を雨に濡れて歩いて行くと、はるか向こうに小さな掘っ立て小屋が見えた。 「まさか、あそこではないだろう、道をまちがえたかな」 と思いながらも、他に家らしきものもないので、その小屋へ行ってみたら、なんと、そこが亡くなった人の家だった。  その家ヘー歩入った途端、声が出ない程驚いた。家の中は雨漏りがひどくて、バケツから洗面器や鍋と、ありとあらゆるものが、十個位並んでいた。  畳もなく、筵を敷いた家の中で、小さな子供が四、五人とおかみさんが、亡くなったご主人のまわりにいる。他の人は誰もいない。枕元を見ると、御本尊様にきれいな樒が供えられていた。勤行しているのがすぐに分かって、うれしかった。  それから懇ろに御回向した後、 「火葬場は?」 と聞いたら、 「私と子供達でお父さんをリヤカーヘ乗せて行きますから」 と言われて、次の言葉が出せなかった。私が、 「お題目を家族で一生懸命唱えて、御本尊様にすがりきって行きなさい。困った時には、何時でも相談に来なさいよ」 と言って帰り仕度をしていると、半紙に御供養と書いてある分厚いものをお盆にのせ、目の上の高さまで押し頂いて持ってきて、私の前へ差し出し、正座をして、 「御住職様、今の私の家には、これしかお礼を差し上げられません。どうぞお受け取り下さい」 と言う。  頂いていいのかどうか、 「いいんだよ」 と言うことも出来ず、迷っていた。すると、おかみさんが無理に私の手に握らせ、頭を畳にすりつけてお辞儀をしている姿を見て、有り難く頂戴した。そして、 「御本尊様にお供えします。何か困った事があったら、必ず相談にくるんだよ。信心をしっかりするんだよ。必ず道が開けるからね」 と言って帰路についた。  帰る道々、懐の中の分厚い御供養を思い出し、 「あんなに貧しい生活をしているのに、どうしてこんなにお金を貯められたのかな」 と、種々思いをめぐらしながら、お寺へ帰ってすぐに、御本尊様にお供えした。故人を思い、お経を唱えてから、頂いた御供養をあけさせてもらった。  そしたら包んである半紙を開けども開けども、何枚開いてもまだ半紙、丁寧にきちんと折りたたんだ半紙、十枚開いても、まだ半紙。「何だろう」と思いながら開いた半紙が十五、六枚。最後に出てきたのは、シキミの葉一枚に、手紙が添えられていた。  それには 「今、家には御供養したくても、お金がありません。真心こめて、このシキミを御供養させて頂きます。これから一生懸命働いて、必ず御供養させて頂きます」 と書かれていた。  私は感激した。有り難くて有り難くて、こんなに素晴らしい御供養を、頂いた事は今まで一度もなかった。又これだけ真心のこもった、素晴らしい御供養は、これから一生頂くことは出来ないだろう、と思って涙が止まらなかった。  御供養というものは、人に言われて、出すものではない。仏様に対して「自分の真心を捧げて、受け取って頂くもの」だ。その御供養を、私が自由に使ってしまったら、皆さんがもらう罰より数百倍もひどい罰を、私は受けなければならない。  それから何年も経って、いつとはなくその家族を忘れていたら、ある日執事さんが 「ご来客ですが、名前を言いません」 と言って、私を呼びに来た。  出てみたら、全然知らないご婦人と立派な身なりをした青年が、ニコニコしながら 「御住職様、私達を覚えておられますか」 と言われても、私は全然知らない人なので 「わかりません」 と言うと、青年が 「十年程前、どしゃ降りの雨の中をおいで下さって、お葬式をして頂いた者です。今日は、父のお葬式の御供養を持参致しました」 と言われ、思い出した。私の足下に土下座までして、シキミを包んであった半紙と同じくらいの厚さの御供養を出された。  驚いている私に、 「主人の亡くなった後、家族で東京に出て、死にものぐるいで働きました。子供達は中学までしか出してやれなかったけれど、皆立派に成長し、小さいながらも自分達の土地と家を持つことが出来ました。東京のお寺について、家族六人で信心させて頂き、一生懸命頑張っています。子供達は中学出なのに一流企業に就職し、今一番下の子だけ、高校に行っています。私は今とても幸せで、もしこれが夢であるなら醒めないでほしいと、毎日御本尊様にお願いし、感謝感謝の日々を送っています」 と言って帰られた。  私も大変うれしくなった。 「すばらしい信心をしているんだな」 と感心した。 お金持ちが一千万出すより、困っている人が御供養したいけど、今はこれしかできないからと、真心込めてする御供養がいかに大事なことか。  私が、いつも御供養の大切さを話しているけど、本当の御供養の精神を、皆に分かってもらいたいと思って、この話をしているんだよ。  私(吉野さん)は御住職様からこの話を聞いた時から「私も、仏様に受けとって頂ける御供養をしていこう」と、心に念じながら御供養させて頂いております。  特別御供養など、私達に功徳を積ませて頂く御供養です。  真心からの御供養を、させて頂きましょう。(以上要約) {{category 御供養,体験}}