!!!−あまりにも大きな代償を払い、ようやく聞けた信心の話− !!『ニセ本尊』一掃を強く決意          熊本県・真法寺信徒       I上J子さん  私は、平成二十三年十二月末に勧誡を受けて入講いたし、御住職・黒沢糾道御尊師のもとで仏道修行に日々頑張っております。  私は、昭和四十年に身内からの勧めで創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。しかし四十五年間、御本尊を持ち学会に籍を置いていても、活動した記憶がありません。私か理解しているのは、学会員達が新聞啓蒙や、書籍購入、選挙運動等々の活動をしていることぐらいです。    !!『ニセ本尊』の現証  私は元来、学会が嫌いでした。学会に入ってよかったと思えたことがなかったからです。学会員からは、ある時は「お金を貸してほしい」、またある時は「選挙で○○さんをお願いします」  「書籍を購入しなさい」「民音がどうした」等々言われました。話せばきりがありませんが、お金等の要求ばかりで、喜びに結びつくものが見いだせなかったのです。  そんな学会が嫌いな私ですから、創価学会が新興宗教として独立し、謗法の道に入ったことにも無頓着でした。  平成五、六年のころでしょうか、突然、学会員が来て「御本尊が古いから新しいのと取り替えましょう」と言われました。私の明確な同意を取ることもなく、バタバタと勝手に御本尊様を替えられてしまいました。あとになって知ることですが、それは『ニセ本尊』でした。我が家の仏壇に『ニセ本尊』を祭られてしまったのです。けれども、学会の人達の強引な行動はいつものことと、なんら疑問にも思いませんでした。変なふうに、非常識に慣らされてしまっていたのです。  また「I上さん、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長より表彰があります。とても名誉なことです。会館の会合に出席してください」と言われたことがあります。なんの表彰で、何を目的にそんな表彰をするのか、理由が解りませんので、お断りしました。  今にして思えば、私か個人的にやっているボランティア活動を、「学会の活動」あるいは「学会員の活動」と巧みにすり替えようとしたのではないかと思います。また、さらなる目論見として、池田SGI会長よりの表彰によって、創価学会への縛りつけと洗脳を謀ったのではないかと推測しています。  まことに恐ろしい『ニセ本尊』の現証でしょう。御本尊を取り替えられてしばらくしたころ、なんと主人が病に倒れてしまったのです。肝臓ガンと診断されました。  我が家は、主人と二人での自営業です。どうしようと途方に暮れました。でも、やるしかありません。その日から四人分の仕事が私にかかってまいりました。  主人と母の看病、県外への営業回り、帰ってきてから仕事場での作業、時間を削って主人の身体の痛みを和らげるためのマッサージ。しかし治療の甲斐もなく、二年後に主人は他界いたしました。  残されたのは、住宅ローンなど銀行への借金です。私は、それまで以上に仕事に頑張りました。  主人が亡くなって十年後、今度は私の心臓が止まるようなことが起こりました。娘に病魔が襲ったのです。やはりガンでした。そして、娘を失いました。  どうしてこのような残酷なことが、次から次へと起こるのか、と思いました。この世に神も仏もいないのかと、ただただ怨みました。仏壇に向かって「娘を返してください」と毎日毎日、言い続けました。そのころから「何かおかしい。創価学会にいたのではダメなのではないか」と、学会に対する不信が募りました。けれども、人間関係の絡みもあり、すぐに学会からの脱出は実現しませんでした。したがって『ニセ本尊』は祭ったままです。私はまだ『ニセ本尊』の悪業の恐ろしさに気づいていなかったのです。  当然の如く、その後も悪いことは容赦なく、次から次へと私に襲いかかってきました。心臓病、パニック障害、仕事帰りの大型トラックとの正面衝突等々。  それでも、私は身体を失うことはありません。命をなくすことはありませんでした。 !!やっと気づいた使命 ついに脱会  病院のベッドの上で考えました。「なぜ、私だけ死ぬことができないのだろう」と。  私は気づいてなかったのです。我が家の仏壇に祭ってある『ニセ本尊』の恐ろしさに。勝手に替えられたとはいえ、自分が大きな大きな罪を犯していることに。  そして、大型トラックに正面衝突するようなことがあっても助かったのは、私に使命があるからだと気づきました。私はようやく、過去と現在の悪因と、未来への使命に気づくことができたのです。  すると不思議なもので、善知識が近づいてきました。いえ、既に近くにいた善知識を、善知識と認識できるようになったのです。それが、真法寺支部法華講員であったS河広介さんです。  S河さんは、娘を失ったころから私を折伏してくれていました。多勢に無勢の場面でも、学会幹部と対決もしてくれました。その破折を脇で聞いていた私にも、S河さんのほうに分かあると感じられました。そう感じながらも、すぐに決断できませんでした。  それが、ようやくここに至って、素直にS河さんの折伏を聞けるようになったのです。   「真法寺に行こう」 「学会と決別しよう」「『ニセ本尊』と決別しよう」、そう言うS河さんの声を、私はとても素直に受け止めることができました。それが平成二十三年の、一年の締め括りの時でした。  そして平成二十四年、とてもさわやかに信心のスタートを切ることができました。黒沢御住職は 「信心は心身、つまり心と身です。信心は心と身で行うものです」 「信心は、やれないことはやらなくていいのです。やれることをやれる範囲で、誠実に行いましよう」 と指導されます。その御指導を心がけ、毎月の御報恩御講や寺院清掃等、我が心身を使って、誠実に仏道修行に取り組む平成二十四年でした。 !!初めての登山後、二人を折伏  真法寺で正真の御本尊様を御下付いただいてから、もう少しで一年というころ、素直な信心に取り組んで十ヵ月目の昨年(平成二十四年)十一月、先輩方のお誘いで、初めて総本山大石寺への登山に参加できました。しかもその時、真法寺では二十年ぶりという、御法主上人猊下へのお目通りが許され、真法寺では初めての、御法主日如上人猊下との記念撮影にも連ならせていただきました。  御開扉とは、お目通りとは、どのようなことか。すべてが初めての体験です。お目通りの行われる部屋へ入り、緊張は頂点に達しましたが、その緊張を解いてくださったのが御法主上人猊下の笑顔でした。温かな心和らぐ御尊顔、その御指南に、宝物を頂いたような心境でした。  その後、御開扉を受けるために奉安堂へと向かいました。空を仰ぐような堂々たる奉安堂、他に類を見ない建築物にびっくりしました。不可思議な、心身の活動の元になる精気、お力を感じました。それが登山の功徳だと実感しました。総本山はなんとすばらしい聖地なのだと。百聞は一見に如かずです。  さらに登山の功徳、御本尊様の功力を実感することがありました。それは「折伏がしたい。この聖地に、この喜びを知らない人を導きたい。一人でも多くの方を正法に導きたい」という気持ちが涌いてきたのです。  登山から帰って1ヵ月後、友達のN島さんを折伏することができました。正真の御本尊様を頂いて一年、最高の御恩返しができました。  年が明けて、本年一月十日にもう一人、福岡に住む弟を入信させることができました。登山から二ヵ月で、二人の方を折伏できたのです。  これは私の力ではありません。御本尊様のお力です。登山で頂いた不思議な不思議な力ではないかと思います。同志の方々に  「おめでとうございます」と声を掛けられている私か、一番驚いています。  日蓮大聖人様は折伏の姿勢を、    「此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこし   もひるむ事なかれ」 (兵衛志殿御返事・御書[一二八六頁|honshubou.main.jp/gosho/1286.htm]) とお説きであります。  私か『ニセ本尊』の害毒に気づくまでに払った代償は、あまりに大き過ぎます。だからこそ、一人でも多く、一日でも早く、人々を救わねばならないと感じます。それが私の使命だと強く思います。  これからも私の使命である『ニセ本尊』の一掃と折伏に励み、私を導いてくださる黒沢御住職様、S河さんやO方さんをはじめ同志の方々と共に、自分にできることを見つけながら、笑顔を絶やさず、先輩方についていく所存です。 {{category 体験,どん底,パニック症}}