先日の僧俗指導会での体験発表は大変感銘を受けました。 例によって筆記メモからの起こしですが、ここに紹介しましょう。 でもきっとどこかで既に紹介されているのかも知れません。 発表者は妙観講のS木YT氏でした。 --------------------------------------- H26入信した。実家は曹洞宗で祖母が熱心だったが、邪宗の害毒であろう、最期はもがきながら私の首を絞め、殺してくれといいつつ死んだ。 父は酒乱で家族(母妹私)は殺されそうになった。いつか父を殺そうと思った。 父母は離婚し、父は東京に行った。中学ではひどいイジメにあった。 高校を卒業し、地元の浜松で理容師になった。明るく振る舞い、努力すれば何とかなると思ったが全てうまくいかなかった。勤め先もすぐに辞めさせられてしまった。 それで東京へ行って理容師の腕を磨こうと努力したが、どこの店でも長続きはしなかった。 絶望し実家に帰って引きこもろうと思った時、この人で最後の仕事にしようと請け負った女性が妙観講の人だった。 彼女が結婚式を挙げるので髪を仕上げるために結婚式当日理境坊まで来るよう依頼してきたので私は伺った。 こんな遠くまで来てわざわざ結婚式とは、と訝しがると、彼女はこれから結婚式だというのに熱心に仏法の大事を説き始めて、圧倒された。 結局その一週間後に私は入信した。 信心の先輩に言われるまま日々の勤行と折伏に励んだ。同級生や業者や職場の人、顧客にまで信心の話をし「悪口を言って貰いました」。 しかし堪えたのは信心の話をしたせいで顧客が全部居なくなってしまった事だ。これで落ち込む私に信心の先輩から 「将来に渡ってその顧客から取れたはずの収入を全て御本尊様に御供養出来たのだと思え」 と言われて立ち直れた。どうにか理容師の仕事も続けられるようになり、いつしか腕も上がった。気がつくと毎日楽しく仕事をしていた。 母と妹も折伏したいと思った。母は祖母の最期の姿を見て宗教に入れ込むのに抵抗を示したが、熱心に折伏をして仏法講演会に連れ出すと、疑問が解けて妹と共に入信した。 勉強会で父母の恩の事を聞いて父にも信心させたいと思い立った。H26の父の日に花を持って父の住居を訪ねた。父とは旧交を復したが、信心の話には耳を貸さなかった。 また講頭の話で一年に30回御開扉を受けた人が末期癌を克服した、という事を聞いて思い立ち、H27年には御開扉30回、丑寅勤行50回参加させて頂こうと志した。 その間、父の家を何度も訪ね、信心を勧めた。 そしてH28浜松から母と妹を呼んで家族で会食をした。母は「皆で食事はやはり楽しい」と言い、私は号泣した。 H28.2、母と妹も交えて父を折伏した。父は「今度信心を勧められたら素直に入信するつもりだった」と言い、即日入信した。 H29、トントン拍子で開業の運びとなり西荻窪に店を構えるにいたった。私の理容師の技術を気に入った某業界の人がありその喧伝によって稼業は一気に伸張したのだ。 H30.12私に子供が生まれた。これを機に父を呼び寄せ同居することになった。夢のようだ。かつては殺してやりたいほど憎い父だったのに。 6年前、入信していなかったら今でも家族はバラバラで不幸だったろう。私は幸せである。この幸せに感謝し、更に自行化他の信心に精進していきたい。 ---- 管理人感想:私も御開扉を受けさせて頂く功徳を実感しています。善知識に恵まれて良かったですね。早生晩生とありますが、6年で功徳を頂けたのはすばらしい。素直な信心が結実したのですね。 {{category 体験}}