!!!ミニ塔婆は謗法です! 来月はお盆です。この時期、富士・富士宮地域にあるお墓に、小さな塔婆がたくさん並んでいる光景を目にします。これは俗に”花立塔婆(花塔婆)” といわれるものです。 !!小さな塔婆の由来 花立塔婆は、静岡県東部(富士市・富士宮市・沼津市)で慣習的に用いられています。  もともと県東部の一部地域では、新盆(忌明け後にはじめて迎えるお盆、初盆)の際に、青竹で花立て用の竹筒を作り、それにシキミやオミナエシなどを入れてお供えするのですが、これを檀家同士でお互いに置き合って供養する風習がありました。  (八月十四日に行われる本山の墓参で、竹筒に格を差してお墓の左右に供えるのは、その名残と思われます)  やがて時代が変わり、花立て用の竹筒と生花の事後処理(片付け)が一苦労であったため、代わりに小さいサイズの卒塔婆を用いるようになり、今では新盆にかぎらずお墓参りには欠かせないツールとなった、と考えられています。  花立塔婆は、追善供養の心を表すとともに、お墓参りをしたことの証明になり、墓主は供えられた塔婆を見て、誰がお墓参りに来たのか知ることができます。それを重視した地元の地域性も、花立塔婆が普及した要因の一つと言えるでしょう。  そもそも日本各所で、墓所に墓参証明のような意味合いで名刺を置いていく風習が多く見られます。名刺入れが設置してあるお墓も各地に点在しています。  しかし、名刺代わりに小さな塔婆が用いられるようになった地域は、国内でもこの辺りだけのようです。水子供養やペット供養の場合、板塔婆ではなく小さいサイズの経木塔婆・水塔婆を用いるお寺もありますが、これは塔婆の種類ですから名刺代わりではありません。いくつかの販売業者や製造元に、花立塔婆の起こり(ルーツ)を問い合わせましたが、どこもよくわからないという返答でした。!!人々に受け入れられた理由花立塔婆は持ち運びに手頃なミニサイズであり、一本百円から二百円ほどですから、気軽に何本も購入できます。そして、寺院ではなく商店で簡単に手に入り、日付や志主名も自分で記入できます。有縁の墓地を幾つも回る人やお年寄りにとっては、大きな塔婆をわざわざお寺にまで来て願い出て持ち帰るよりも、馴染みの商店やコンビニで安くて手頃なものを手に入れたほうがよほど楽でしょう。  こうしたところに目を付けた他宗のお寺あるいは仏壇屋が、業者に依頼し、やがて町中(まちなか)のスーパーで販売されるようになったと考えるのが妥当と思われます。  ここで注意すべき点は、花立塔婆の由来は名刺であるということです。古今東西、名刺が塔婆に代わる道理はありません。  また、便利さを優先して手軽になされた供養で、故人が成仏するはずがありません。そんな安い供養は、故人を偲ぶ心もその程度だということです。習慣を習慣のまま鵜呑みにし、利便性に奔(はし)り、塔婆を建てる本来のあり方を見失ってはいけません。 !!主しい追善供養を 塔婆は、仏舎利塔を起源とし、五輪を象(かたど)った供養塔を表しています。これにお題目を認(したた)め、故人の名を書き添えることで、故人の命が仏とともに在ること(成仏)を表すのです。  そのお題目について、総本山第九世日有上人は『化儀抄』に、  「卒都婆(そとば)の事、縦(たと)い能筆(のうひつ)なりとも題目計(ばか)りをば書くべき人にかかすべし、余の願文意趣の事は然るべき作文の人、能筆尤も大切にて候」(聖典九七八)  と仰せです。書くべき人とは正宗僧侶のことです。ミニ塔婆のお題目は、他宗他門の僧侶が書いたのか、あるいはパソコンで作成したのか定かではありませんが、いずれの場合であっても、日蓮正宗の僧侶が認めた塔婆ではありません。野菜と一緒に並んで売られている”塔婆擬(もど)き” に追善の思いをのせても、残念ながら一つも功徳はなく、故人にも届くことはないのです。  先祖を供養し故人を成仏へ導くためには、まず自分自身が正しい仏法を信じ、御本尊様にお題目を唱えて功徳をいただき、そしてその功徳を、塔婆を通じて故人へ廻し向かわしめることです。  日蓮正宗の信仰を持つ私たちは、宗門古来の化儀に則って塔婆を建立し、僧侶とともに読経唱題することが大切です。  日蓮大聖人様は『上野殿後家尼御返事』に、  「いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給ふべし」(御書三三八)  と仰せです。私たちは、お盆やお彼岸のみならず、「常盆・常彼岸」の精神を帯し、まどころからの正しい追善供養を修してまいりましょう。 ---- 2017/08 典礼院 {{category み}}