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縁ある人を果敢に救う時の変更点

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!!!縁ある人を果敢に救う時
!与するつもり無くとも、在籍だけで謗法と知り脱会

 涌徳寺支部 竹下みち(熊本地方部総会よりH29.4.16)
 涌徳寺支部 T下みち(熊本地方部総会よりH29.4.16)
 私は、結婚する一年前の昭和五十九年一月に、創価学会を通じて日蓮正宗に入信したばかりの主人から折伏を受け、当時一緒に住んでいた兄と共に入信しました。
 主人は入信当初から、寝る間も借しんで活動して、たくさんの友人を折伏しましたが、次第に学会組織に不信感を抱き、子供が生まれた頃にはほとんど活動をしなくなりました。学会員が『ニセ本尊』に取り替えに来た時も、「絶対に替えん、断れ!」と私を一喝した主人は、その日を境に学会活動を完全に停止しました。

!!在籍すら謗法と知り脱会

 それから年月が経ち一昨年、主人の大親友である竹崎寿洋さんから突然、実は日蓮正宗に入信し涌徳寺に通っていると聞かされました。私たちは驚いたのと同時に、「涌徳寺」という響きに懐かしさを覚えました。その後も竹崎さんは何度か来られ、創価学会の誤りや、今の生活が謗法の生活であることなどを、真剣に話してくれました。
 それから年月が経ち一昨年、主人の大親友であるT崎寿洋さんから突然、実は日蓮正宗に入信し涌徳寺に通っていると聞かされました。私たちは驚いたのと同時に、「涌徳寺」という響きに懐かしさを覚えました。その後もT崎さんは何度か来られ、創価学会の誤りや、今の生活が謗法の生活であることなどを、真剣に話してくれました。
 学会が間違っていることには気づいていたものの、謗法を犯しているという認識の全くなかった私たちは、そのことに気づかされ、平成二十七年十二月二十日に住職代務者・近藤恒道尊尊師にご面談いただき、晴れて勧誡式を受けることができました。
 しばらくして功徳を戴き、主人の仕事はどんどん忙しくなり収入は二倍になり、生活が安定しました。

!!御指導染み入り折伏へ決意増す

 御報恩御講に毎月参詣するようになってからは、支部折伏誓願に対しての御指導をたびたび伺うようになりました。折伏とは、私たちが成仏していくために欠くことのできない重要な仏道修行で、折伏することによって自他共に救われていくのだと繰り返し御指導をいただくうちに、折伏をしたいとの思いが次第に強くなりました。
 昨年十二月の初め、南第三地区の地区長になった竹崎さんと、当時の地区長だった園田ブロック長が家庭訪問に来られ、「この信心で誰か救いたい人はいませんか」と尋ねられました。私は「兄を折伏したいです」と答えました。兄は、創価学会二世でバリ活(熱心な活動家)の女性と結婚したことで、長く学会活動をしていました。
 昨年十二月の初め、南第三地区の地区長になったT崎さんと、当時の地区長だった園田ブロック長が家庭訪問に来られ、「この信心で誰か救いたい人はいませんか」と尋ねられました。私は「兄を折伏したいです」と答えました。兄は、創価学会二世でバリ活(熱心な活動家)の女性と結婚したことで、長く学会活動をしていました。
 思えば、学会が破門されて数年が経った頃から、不幸が次々と兄を襲うようになりました。かわいがっていたペットは変死し、順調にいっていた仕事の業績はどん底に堕ち、最愛の妻であった義姉は重い欝病を患い何度も自殺未遂を図った末、とうとう助けることができず、友人葬で送ることになってしまいました。『ニセ本尊』の害毒は本当に恐ろしいです。さらに恐ろしいのは、渦中にいる本人が、それに気づかないことです。
 お二人の訪問をきっかけに、ついに兄の折伏を決意した私は、すぐに兄に連絡を取り、家に来てもらうことにしました。
 そして代務者様にご面談いただき、お話に納得した兄は、その数日後の昨年十二月二十三日、『二セ本尊』をお寺に持参し、無事に勧誡式を受けることができました。
 三十年前、私と一緒に住んでいなければ兄は学会に入ることもなく、こんなにも苦しい思いをしなくて済んだのではないかと申し訳なく、ずっと責任を感じていました。その兄を折伏でき、私は心から安心しました。
 その後、結婚して大阪に住んでいる長女の逸美から、家庭の悩みを聞いて欲しいと電話がかかってくるようになりました。助けを求めていることを感じた私たちは、娘の折伏を決意しました。年末に帰省することになっていたため、とてもいいタイミングでした。
 大阪から帰省したその日に主人が話をすると、娘はお寺に行く決意をしてくれました。
 翌二十六日、熊本に住む次女の鮎美も「私もお寺に行く」と言い、主人が娘二人を涌徳寺に連れていき、私は孫たちの面倒をみるために家に残りました。

!!娘二人も勧誡受け

 御本尊様が御安置されている客殿に通され、そこで代務者様にご面談いただいていると、数分も経たないうちに主人に異変が起こりました。急に咳き込み始め、背中に激痛が走ったそうです。主人は大事な面談の邪魔をしてはいけないと席を外し、一向に背中と胸の痛みが治まらないため私に電話をかけてきました。言葉も出ないほど苦しんでいる様子でしたので、私はすぐにお寺にいる園田さんに電話をして、主人のことを伝えました。
 様子を見にいかれた園田さんが、車の中で苦しんでいる主人を発見し呼びかけたところ、主人は「娘たちに、俺のことは心配要らないから、お話を聞いて必ず勧誡を受けるように伝えてください」と言ったそうです。その言葉を娘たちに伝えてくださった後、安部講頭さんと園田さんが、済生会病院に運んでくださいました。
 御本尊様が御安置されている客殿に通され、そこで代務者様にご面談いただいていると、数分も経たないうちに主人に異変が起こりました。急に咳き込み始め、背中に激痛が走ったそうです。主人は大事な面談の邪魔をしてはいけないと席を外し、一向に背中と胸の痛みが治まらないため私に電話をかけてきました。言葉も出ないほど苦しんでいる様子でしたので、私はすぐにお寺にいるS田さんに電話をして、主人のことを伝えました。
 様子を見にいかれたS田さんが、車の中で苦しんでいる主人を発見し呼びかけたところ、主人は「娘たちに、俺のことは心配要らないから、お話を聞いて必ず勧誡を受けるように伝えてください」と言ったそうです。その言葉を娘たちに伝えてくださった後、A部講頭さんと園田さんが、済生会病院に運んでくださいました。
 主人の命がけの思いが娘たちに通じたのだと思います。娘二人は無事、勧誡を受けました。
 私も済生会病院に向かいました。検査の結果、大動脈解離で、直径三センチはある一番太い血管が心臓の近くから足の付け根まで縦に裂け、危険な状態であったと知らされました。幸いにも、裂けた部分はすぐに血液が凝固し傷を塞いだため、辛うじて命を落とすことは免れたようです。
 後で主人から聞いた話ですが、病院に搬送される間、園田さんがずっと御題目を唱えながら、苦しむ主人の胸をさすってくださっていたそうです。裂けた血管に瘡蓋ができ、出血が止まったことで緊急手術を免れたのは、その御題目の力だったと確信したそうです。
 後で主人から聞いた話ですが、病院に搬送される間、S田さんがずっと御題目を唱えながら、苦しむ主人の胸をさすってくださっていたそうです。裂けた血管に瘡蓋ができ、出血が止まったことで緊急手術を免れたのは、その御題目の力だったと確信したそうです。
 大動脈解離の緊急手術というのは、手術中に亡くなったり、大きな神経を傷つけ半身麻痺になるなどリスクの高い手術だそうで、それを回避できたことは幸いでした。その夜、代務者様と在勤の御僧侶が病院に駆けつけて、励ましカづけてくださいました。集中治療室にいる主人にそのことを伝えると、はっきりと頷いて、安心した様子でした。
 折伏を志す生活へと一変
 その日から、私の信心と生活は一変しました。
 朝夕の勤行を毎日欠かさず行うようになると、今までいただいてきた数々の御指導が思い出され、この重い罪障を消滅させていただくためには折伏しかないと、強く思うようになりました。そして、勧誡を受けた娘たちに、孫たちにも御授戒を受けさせようと話し、十二月二十八日と二十九日に、晴れて孫の澄伶と百華も御授戒を受けることができました。
 翌十二月三十日に病院から連絡があり、集中治療室から一般病棟に移ったとのことでした。嬉しくて御本尊様に心から感謝申し上げました。
 しかし、喜んだのも束の間、その夜にまた病院から電話があり、大動脈が再び解離し、集中治療室に戻ったとのことでした。目の前が真っ暗になり、今度こそだめかも知れないと気が動転し、夢中で竹崎さんに電話をしました。竹崎さんから、「すぐに御本尊様の前に座って御題目を唱えなさい。 絶対に大丈夫だから、気をしっかり持ちなさい」と言われ、その通りにし、必死に御題目を唱えました。すると、少しずつ落ち着きを取り戻せました。
 しかし、喜んだのも束の間、その夜にまた病院から電話があり、大動脈が再び解離し、集中治療室に戻ったとのことでした。目の前が真っ暗になり、今度こそだめかも知れないと気が動転し、夢中でT崎さんに電話をしました。T崎さんから、「すぐに御本尊様の前に座って御題目を唱えなさい。 絶対に大丈夫だから、気をしっかり持ちなさい」と言われ、その通りにし、必死に御題目を唱えました。すると、少しずつ落ち着きを取り戻せました。

!!義母の折伏

 次の日の大晦日、お寺で朝の勤行に参加している時、不思議にも折伏したい人の顔が次々と浮かんできました。私の周りには救わなければならない人がたくさんいることを、御本尊様が教えてくださいました。
 勤行が終わると、竹崎さんと園田さんに「主人のお母さんを折伏したいです。今から一緒に行ってください」とお願いしました。お二人は快く受けてくださり、三人で義母の家に向かいました。
 学生時代から義母のことを知る竹崎さんは、主人の気持ちや私の思いを代弁して、「啓介君を救うためには、この信心しかない」と折伏してくれました。義母の折伏は一筋繩ではいかないと思っていた私は、どんな答えが返ってきても、義母が決意してくれるまでは帰らないと覚悟を決めていました。ところが義母は、すぐに「いいよ。私もその教えに随います]と優しい口調で入信を決意してくれました。
 義母の素直な言葉に感動したのと同時に、御本尊様の偉大な仏力法力を、心の底から感じずにはいられませんでした。すぐに謗法払いをして、義妹の路子さんと共に義母をお寺にお連れし、義母と義妹は御授戒を受けました。
 勤行が終わると、T崎さんとS田さんに「主人のお母さんを折伏したいです。今から一緒に行ってください」とお願いしました。お二人は快く受けてくださり、三人で義母の家に向かいました。
 学生時代から義母のことを知るT崎さんは、主人の気持ちや私の思いを代弁して、「啓介君を救うためには、この信心しかない」と折伏してくれました。義母の折伏は一筋繩ではいかないと思っていた私は、どんな答えが返ってきても、義母が決意してくれるまでは帰らないと覚悟を決めていました。ところが義母は、すぐに「いいよ。私もその教えに随います]と優しい口調で入信を決意してくれました。
 義母の素直な言葉に感動したのと同時に、御本尊様の偉大な仏力法力を、心の底から感じずにはいられませんでした。すぐに謗法払いをして、義妹のM子さんと共に義母をお寺にお連れし、義母と義妹は御授戒を受けました。
 年が明け、主人は日常生活に戻るために、足の付け根にある血管の一部を強化する手術を受ける決意をしました。手術は二月十五日と決まり、その日から次女の鮎美と孫の百華、そして兄を誘い、五人で毎日我が家に集まって唱題をして、主人を病院へと送り出しました。
 そして手術は無事に成功し、二月二十五日に退院できました。翌日、今度は兄が、九十六歳になる義理の叔母である田頭さんをお寺にお連れして、田頭さんは無事に勧誡を受けることができました。
 そして手術は無事に成功し、二月二十五日に退院できました。翌日、今度は兄が、九十六歳になる義理の叔母であるT頭さんをお寺にお連れして、T頭さんは無事に勧誡を受けることができました。
 三月の春季総登山会には、初めて登山する兄・長女逸美・孫の澄伶を連れ、主人と五人で登山させていただき、主人を教ってくださった本門戒壇の大御本尊様に、心からお礼を申し上げました。

!!一生成仏の功徳の生活

 主人を助けたい一心で折伏に動いているうちに、いつの間にか私の生活は折伏中心へとすっかり変わっていましたが、今は主人も兄も娘たちもそれぞれが、未入信の家族や縁故の折伏のため、感動したり悩んだり、波風が立つようなことを経験できています。
 代務者様は、『南部六部殿御書』の、
 「眠れる師子に手を付けざれば瞋らず、流れにさをゝ立てざれば浪立たずヽ謗法を呵責せざれば留難なし」(御書四六三頁)
の御文を引いて、折伏をすることで様々な難が襲ってきたとしても、そのことにより罪障消滅ができること、相手をも必ず救っていけることを御指導くださいました。まさに主人は、折伏によって過去世からの謗法罪障を消滅させていただいたと確信しています。
 この御金言を心肝に染め、これからも縁ある人たちを救っていくために、御法主上人猊下の御指南に信伏随従し、指導教師の御指導に従い果敢な折伏を実践し、支部の折伏誓願目標達成のため、御命題達成のため、精進してまいります。
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大白法965(H290916)
{{category 体験}}