下種(げしゅ) 下種(げしゅ)(――する)とは布教する、折伏するの意で用いられているが、いつの間にか市民権を得てきた言葉であって、この使用を避ける人もいる。 大聖人の仏法は、過去世に仏法に巡り会ったことのない、功徳善根が全くない人々([[本未有善]]の人々)に対し、ゼロから仏の種たる南無妙法蓮華経の功徳に浴せしめるものであって、下種仏法といわれる。(これに対し釈尊(お釈迦様)の仏法は過去世に仏との縁がある人々を対象とした仏法であってこれを熟脱の仏法という)このことから、布教活動の事を「下種」と呼称する動きが自然発生的に出てきたものと思われる。  釈尊の仏法が順縁(聞く耳を持つ人)だけしか救えないのに対して 大聖人の仏法は順縁のみならず逆縁(聞く耳を持たず顔をしかめ、悪口や迫害する人)までも救うことが出来る根本の法である。([[毒鼓の縁]]) {{category 用語,け,げ,動作,教義}}