一つ面白いお話をしましょう。 これは諫暁八幡抄という御書の最後の方に書かれているお話ですが、今は多少脚色してお話ししますと、 昔インドにニクリダという徳の勝れた大金持ちの大人が居ましたが中々子宝に恵まれず困っていました。そこで氏神でしょうか、敷地内の樹木の神様に子供が生まれますようにとお供えし祈願を尽くしましたが、子供は一向に生まれてきません。 ある時ついにニクリダは樹木の神様に向かって怒って言いました。 「今までお供えし礼を尽くしてお願いしているのに全く願いが叶わないのはどういうことか、これから七日間、必死に樹木の神様にお願いするが、もし七日過ぎても願いが叶わないのなら、この樹木を切り焼いてしまうぞ!」 とあろうことか神様を脅迫しました。 驚いたのは樹木の神様です。大変だ、自分ではどうすることも出来ないので、四天王に相談しますが四天王も解決出来ません。 帝釈天に相談しますと、帝釈天はこの世の中を全て探しましたがニクリダの子になるのに相応しい者は居ません。 それで帝釈天は梵天の神様である梵王に相談しました。 梵王はニクリダの子に相応しい者を超能力で探しました所、もうじき死にそうな別の梵天がいました、梵王はその梵天に 「君が死んだら下界のあのニクリダの所に生まれ変わってくれないだろうか」 と頼みました。 「イヤだよ、ニクリダの家はヒンズー教だろう?邪見に染まってしまうじゃないか」 「でもニクリダはとても人徳がある。下界の者ではあの家に生まれ変わるに相応しい者は居ないのだ。もし君が生まれ変わってニクリダの子となってくれたら、梵王のこの私が生まれ変わった君を邪見に染まらないようにまもってやるから、どうだ、頼まれてくれないか」 「そこまでいうなら、承知した。」 そういうわけで梵王は帝釈天に、もうすぐ亡くなって転生すべき梵天の仲間が一人いるから、この者がニクリダの家に生まれ変わってくれることになった、と伝え、 帝釈天は樹木の神様に、 「オイ、どうにかなったぞ大丈夫だ」 と伝えました。 樹木の神様はホッとしてニクリダに 「そなたの願いは七日以内に叶うであろう、楽しみに待つがよい」 と厳かに宣ったのであります。 そして実際七日後、ニクリダの奥さんは懐妊し、十ヶ月の後元気な男の子を産みました・・・それが迦葉尊者であります、とのことでした。  この説話でいえる事は、三世を説く仏法においては、自分の子は前世に様々な善業・悪業を積んでいて、そして自分の福徳に見合った子が生まれてくる、ということです。 ---- 付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説ひて云はく「時に摩竭国に婆羅門有り、尼倶律陀と名づく。過去の世に於て久しく勝業を修し〇多く財宝に饒かにして巨富無量なり〇摩竭王に比するに千倍勝れりと為す〇財宝饒かなりと雖も子息有ること無し。自ら念はく、老朽して死の時将に至らんとす。庫蔵の諸物委付する所無し。其の舍の側に於て樹林神有り。彼の婆羅門子を求むるが為の故に即ち往ひて祈請す。年歳を経歴すれども微応も無し。時に尼倶律陀大いに瞋忿を生じて樹神に語りて曰く、我汝に事へてより来已に年歳を経れども都て為に一の福応を垂るゝを見ず。今当に七日至心に汝に事ふべし。若し復験無くんば必ず相焼剪せん。明らかに樹神聞き已って甚だ愁怖を懐き、四天王に向って具に斯の事を陳ぶ。是に於て四王往いて帝釈に白す。帝釈、閻浮提の内を観察するに福徳の人の彼の子と為るに堪ふる無し。即ち梵王に詣で広く上の事を宣ぶ。爾の時に梵王天眼を以て観見するに、梵天の当に命終に臨むべき有り。而して之に告げて曰く、汝若し神を降さば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし。梵天対へて曰く、婆羅門の法、悪邪見多し。我今其の子と為ること能はざるなり。梵王復言はく、彼の婆羅門大威徳有り。閻浮提の人往いて生ずるに堪ふる莫し。汝必ず彼に生ぜば、吾相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらん。梵天曰く、諾。敬んで聖教を承けんと。是に於て帝釈即ち樹神に向って斯くの如き事を説く。樹神歓喜して尋いで其の家に詣って婆羅門に語らく、汝今復恨みを我に起こすこと勿れ。劫って後七日当に卿が願を満すべし。七日に至って已に婦娠むこと有るを覚え、十月を満足して一男児を生めり。乃至今の迦葉是なり」云云。(諌暁八幡抄 一五三九) {{category 説話,か}}