我々の心には本来、無明という煩悩があり、これによって常に種々の迷いが生じている。故に、我々の心は、磨かない鏡のようなもので、常に曇っている。しかし、鏡を磨けば煌々とした明鏡となるように、曇りが晴れれば真実の法を悟った心となる。故に、迷いの心を持つ我々は、常にこれを正しく磨かねばならない。その磨く方法は、ただ一つしかない。それは、ただ南無妙法蓮華経と正境の御本尊に向かい唱え奉ることである。
御隠尊日顕上人猊下『すべては唱題から』 4/61 [すべては唱題から,御指南]
最終更新時間:2017年10月08日 21時08分31秒
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