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眼病が治った体験の変更点

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!!!唱題の功徳
 さて私は過日あるお寺へお邪魔させていただきました折、経机にB4版の紙が置いてありました。見るともなしに見ますと、このような一文でありました。

 唱題の功徳
一、法華の法門を聴聞すれば未だ発心しない者も御本尊を拝む心がおきてくる
一、慈なき者には唱題の功徳によって慈心がおこる
一、他人の善事にねたみを生ずる者には唱題すれば随喜の心をおこさせる
一、貪欲の者には唱題の功徳によって供養の心をおこさせる
一、驕慢の者には唱題の功徳によって仏の戒めを守る心がおきてくる
一、いかり多い者には唱題の功徳によって忍辱の心をおこさせる
一、修行を怠る者には唱題の功徳によって精進の心おこさせる
一、余念雑念多い者は経文の如く唱題する事によって心静かに一心に唱題出来るようになる
一、おろかな者には唱題の功徳によって仏の智慧を得る事が出来る
一、まだ折伏の出来ない人でも唱題の功徳によって折伏をしようという心がおきてくる

 というものでありました.私には勝鬘夫人の釈尊への「十大受の誓」のように思われ、懇願して一枚コピーをいただきました。それからずっと座右に置いています。

!!!眼病からの復帰
 思い起こせば若い日、父母に捨てられ、祖母と生きた日、信心七年目にして両眼を失明し、唱題をすればする程病状は悪化し、三カ月位したころ、申し訳ないことですが信心しても大丈夫なのかなと不信を起こしました。そんなとき、たまたま親類の人が来て、「信心しても眼が見えなくなるのか」と言われた時、自分の信心の未熟さに気付き「眼が見えなくても信心しているんだ、あなたは元気でなぜ信心しない」と折伏し、三十分たらずで入信を決意させました。
 それからしばらくして、八十余才の祖母がある朝「お前を残しては死ねないから一緒に死んでくれ」と言ったのです。その時私は「家には御本尊様がある、どこまでゆけるか唱題しよう」と言い、涙ながらに五十時間、夜も昼も唱題したのです。三日目の朝、とうとう御本尊様の前に倒れ意識を失いました。何日かして病院へ行くと、病院長は一目で「この病気は治りません」と言ったきりでした。
 私はその時、「あーこれは御本尊様が救ってくださるのだ」と、思わず駆けだしたい気持ちになりました。不思議にその日から薄皮をはぐように一日一日と快方に向かい、そのうち朝と晩の区別がつくようになり障子の組子が見えるようになったのです。今はメガネもかけておりません。
 「病によりて道心はをこり候也」との御金言の如く、御本尊様に助けていただいたのだから、と決意し、それから得度をし、今は日蓮正宗の僧侶の端っこに加えさせていただいているのであります。
 このような体験から唱題こそ一切の功徳があることを確信します。頑張ろうー全国の我等法華講衆が頑張っています。日寛上人の仰せのように「信心のまづしき」者にならないように貫徹して、六万総会には晴れて全国の皆様と共に笑顔で「頑張っちゅうかネェー」と言葉を交わし、御法主上人猊下の御前に、そして御戒壇様のもとに集おうではありませんか。
(「大白法」平成六年三月一日号)


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