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稀な血液のガンを克服の変更点

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!!!一年の闘病で戴いた 大切なことを確認する機会本山妙蓮寺蓮行講支部
  (静岡北地方部総会より)R4. 4.17 T川I子さん
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 私は今年六十歳になります。
 高校を卒業した十八歳の春、伊藤講頭ご夫妻から折伏を受け、信心の話を初めて聞きました。講頭さんの奥さんが中学時代の恩師たったご縁で、大学入学に際してご挨拶に伺った時でした。
 その時、いろいろなことに悩み、泣いてばかりの私に、伊藤講頭は御書を手に取り『諸法実相抄』の、
 「日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず、但偏に法華経の故なり。若ししからば甘露の涙とも云ひつべし」(御書六六七頁)
 という御文を拝読して、「あなたもこういう涙を流してください」と話してくださいました。私は、そういう人になろうと決意し、入信いたしました。
 その後、講中の青年部員で大学時代から折伏に励んでいた主人と結婚し、三人の子供にも恵まれ、家族揃って毎月の御報恩御講に東京から菩提寺である富士宮市の本山妙蓮寺へ参詣してまいりました。我が家を拠点に座談会を開いたり、娘もお友達を妙蓮寺までお連れして折伏を成就したりと充実し、教職という仕事柄、休む間もなく過ごしてきた感があります。

!! 入信四十余年にして原因不明の症状
 
 そして一年前の二月中頃、仕事をしていると突然、階段を下りられないほど体調が悪くなり、左足の付け根から足先までが、みるみるうちにパンパンに腫れてきました。
 近くの病院では皆目判らず、紹介状を手に大学病院に行きました。大学病院のいくつかの科を回り、最後に血液内科を受診しました。そこで、「悪性リンパ腫の疑いがある」と言われ、さらに検査を受けることとなりました。
 足が腫れていること以外に、特にはっきりとした自覚症状もありませんでしたので、春分の日に妙蓮寺に参詣し、支部団体登山に参加して御開扉を受けました。
 
!!悪性リンパ腫で一変した日々
 
 この日、妙蓮寺の本堂で高い天井を見上げながら、「もう、ここに来るのは最後になるかも知れないのだなあ」とぼんやり考えておりました。
 血管免疫芽球性T細胞リンパ腫―。何度読んでも覚えられないような長い病名が、検査から三週間後に言い渡されました。
 悪性リンパ腫は血液のガンの一種で、白血球のうちのリンパ球がガン化する病気です。リンパ球の働きは、ウイルスなどに感染してしまった細胞を壊すことで人体を守ります。そのリンパ球が逆に人間の体の組織を破壊していくのですから、絶望的な病気です。そして、ひと口に「悪性リンパ腫」といっても病理組織学的に五十種類以上に分類されるそうで、私は珍しいタイプで抗ガン剤が効きにくく再発しやすい、厄介な種類だと言われました。後から調べたら、五年生存率が約三割ほどの恐ろしい病気でした。
 ベッドの空きを待って入院いたしました。ガンの治療法は様々ありますが、私の場合は徹底的にガンを撲滅するために大量の抗ガン剤を投与するというものでした。点滴を二十四時間付けっぱなしで、トイレに行くにもシャワーを浴びるにも、点滴の薬剤を下げたキャスター付きスタンドが一緒で、まるでペットのようでした。
 
!!入院中も退院後も御本尊様のもとで
 
 入院して間もなく、御住職様(漆畑日実御尊能化)のお計らいで、御秘符を総本山に願い出てくださり、賜ることができました。また御住職様が、お守り御本尊様を御下付くださいました。本当に有り難く思い、朝夕の勤行と唱題を欠かさず行いました。
 病気になったことは辛いことでしたが、病気になったことで、かえってよかったこともありました。かつて入信はしたものの信心から遠ざかっていた弟が、「姉ちゃんが治るように、御題目三唱はするよ」と元気いっぱいに言ってきてくれました。
 母にも、ゆっくり信心の話ができました。
 四十年前、私か入信した時に烈火の如く怒った母も、父のお墓参りのために妙蓮寺の墓苑に来るうちに、妙蓮寺の御報恩御講にも参詣するようになりました。御住職様も、私共が母を折伏しているのを応援してくださって、参詣する度に母を優しく気遣ってくださっていました。
 退院の日、弟が抱える家族のいろいろな問題を心配している母に、私は
 「お母さん、私とあの子(弟)との違いはただ一つよ。ちゃんと信心しているかどうかなのよ。ちゃんと信心すれば、いろいろなことが解決していくんだよ」
 と話しました。
 すると、その後、なんと母は弟に
 「あなたもちゃんと信心して妙蓮寺に参詣しなさい」
 と手紙を書いたのでした。自分は入信もしていないのに、既に入信している自分の息子にしっかり信心しろと言うのですから、呆れたものです。けれども、少しずつ母が変わってきているのが判りました。
 退院後も抗ガン剤治療は続きました。退院してすぐの頃は、御本尊様の前に座って合掌した姿勢で長い時間いることが、辛くて仕方ありませんでした。それでも、朝夕の勤行を欠かさず、できるだけの唱題を重ね、自宅で行われる座談会にも参加しているうちに、だんだんしっかり座れ、合掌の姿勢で三十分、一時間と唱題できるようになっていきました。
 御書の拝読も始めました。毎日少しずつ拝読しましたが、特に『経王殿御返事』は、自然とそのページが開いてしまうくらい何回も繰り返し拝読しました。
 「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。(中略)但し御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし」(同六八五頁)
 の御文の、「けなげな信心」の人になれるようにとの思いで、唱題を重ねました。
 
!!ガン細胞が消滅する不思議の功徳
 
 そして、冬を迎える頃、抗ガン剤治療が終わりました。検査の結果、ガン細胞がなくなっていることが判ったのです。
 抗ガン剤の効きにくいタイプということで主治医も手探りのような状態で治療を施してくださっていたので、この検査結果は不思議としか言いようがありません。
 私の体験はとても小さなことですが、御本尊様の御力は、とてつもなく偉大です。
 病気になった時、ふと、
 「こんなに御題目を唱えていても、こんな病気になるんだなあ」
 と思うことがありました。が、長く生きていれば、病気になることもあります。信心していても、それぞれの持っている宿業に応じて、いろいろなことが起こるのです。
 私たちは、時に「御本尊様が守ってくださる」ということと「だから自分の思い通りになる」ということを履き違えます。目に見えず自分では気がつかないけれど、深く重い業が自分にあるかも知れないのに、です。それなのに、信心していると、目に見える功徳だけを欲しがり、自分にとっていいことだけが起こるのが信心の功徳だと錯覚してしまうのです。私は、病気になって信心の姿勢を再確認することができました。
 
!!真の功徳、真の喜びを語れるように
 
 また、病気だけでなく、他にも様々な困難が起こりますが、解決すると、そのことで御本尊様への強い確信となります。『四条金吾殿御返事』に、
 「定業の者は薬変じて毒となる。法華経は毒変じて薬となると見えて侯」(同 一二九一頁)
 という御文がありますが、まさに病気という毒が、御題目を唱え続けることにより薬となり、自分自身が生きていて起こるすべてのことに、功徳を戴いていると実感できるのです。唱題に唱題を重ねて病気がよくなった時、
 「経王御前にはわざはひも転じて幸ひとなるべし」(同六八五冷)
 の御文の、災いが転じて幸いとなることが、そのまま自分の身に起きていることに喜びと感謝しかありませんでした。
 そして、病気になって、もしかしたらあとわずかしか生きられないかも知れないと思った時、大切なのは他の雑事ではなく、御本尊様であり、信心であり、信心で縁することができた方々でした。
 そのことを片時も忘れることなく、これからも信心修行に励んでいきたいと思います。
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「御本尊様が守ってくださる」ということと「だから自分の思い通りになる」ということを履き違える、とは蓋し名言。
素晴らしい信心をなさっているなぁと敬服します。
{{category 体験,悪性リンパ腫,あ}}