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鬼子母神

 さて、御書を拝しますと、鬼子母神について説かれている箇所があります。
 鬼子母神は、インドの鬼神の子供として生まれ、やがて成長して結婚し、たくさんの子供が生まれました。その数、実に五百人とも、千人とも言われており、鬼の子の母なので鬼子母神と呼ばれていたのであります。
 特に、一番末っ子は幼く、かわいい故に、愛児(あいじ)と名づけられました。それほど、夫婦はこの子を愛していたのであります。
 しかし、ある時、彼女は夫に恐るべき話を打ち明けたのであります。それは、

 「王舎城の街には、たくさんのかわいい子供遥かいる。あの子供達を私は食べてしまいたい。心の底からそういう欲望が涌いて止められない」

と、まことに恐ろしい話をするのであります。
 しかも、この恐ろしい欲望は、日に日に増していき、とうとう王舎城の子供を何人もさらって、食べてしまったのであります。それを防ごうと、王様は軍隊を出動させましたが、全く無駄でした。
 悩んだ王様は、占い師を呼んで占わせると「祭りを行いなさい」と言います。しかしこれを行っても、なんの効果もありません。また「街が汚れて陰気だからです」と言われて、王様は街を掃き清め、音楽を流し、華やかな飾り付けをしましたが、全く効果はありません。
 王様は困り果てて、とうとう彼女を止めるためには、仏様にお願いするしかないと思い、仏様のもとに行きました。そして仏様に、

 「軍隊でもだめです。もう、どうしようもありません。どうか、仏様のお力で鬼子房神のむごたらしい行いをやめさせてください」

と熱心にお願いをしたのであります。仏様は黙ってうなずき、その求めに応じました。

 翌朝、仏様は鬼子母神の家に行きました。また子供をさらいに行ったのか、鬼子母神の姿は見えません。ただ、かわいい子供達が元気に、はしゃいでいました。仏様は、鬼子母神が一番かわいがっている末っ子の愛児を隠してしまったのであります。
 その後、鬼子母神が帰ってきましたが、いとおしい末っ子の姿が見えません。ほかの子供達に聞いてもどこに行ったか判りません。鬼子母神は、髪を振り乱しながら探しましたが、しかし、どこにもいません。森を探し、池を探し、沼を探しましたがいません。鬼子母神の涙は頬から胸に流れ落ち、唇はからからになりました。心はやつれきってしまい、服は脱げ、しかし、そんなことに構っていられません。大声を出して、鬼子母神は我が子の名を叫びました。

 その時、仏様が現れました。彼女は、ただ泣きぬれて仏様の足元にひれ伏し、

「私のかわいい子供かいないのです」

と訴えたのであります。仏様は言いました。

「おまえには子供が何人もいる一人ぐらい、どうってことはないだろう。
 苦しみではないはずだ」

と言いました。彼女は、

「いえ、親にとって、一人でも子供がいなくなれば、血を吐いて死んでしまうぐらい苦しいのです」

と訴えたのであります。
 仏様は静かに言いました。

「そうであろう。何人、子供がいようが、一人の子供かいなくなっても、それほど親は悲しいものだ。ではなぜ、あなたは他人の子供を殺すのか。あなたは愛する者と離れる苦しみを知ったのだから、あなたと同じ悲しみに苦しむ親達の気持ちも解るはずだ」

と懇々と諭しました。そして、仏様は鬼子母神に子供を返してあげました。
 鬼子母神は深く懺悔して、

 「人の苦しみを我が苦しみと感じた者として、これからその反省の思いを持ち続けていきたいと思います」

と、心の底から仏様に誓いました。
 その誓いの気持ちが真実であることを見て取られた仏様は、彼女と約束をしたのです。
  「これからのち、仏道に励む人をいつ何時でも護り続けることを誓いますか」

と問われ、鬼子母神は喜んで誓いました。
 このことから、鬼子母神は、仏法や仏道修行者を護る善い神様となり、法華経を受持する者を護ることを誓ったのであります。
 大聖人様は『経王殿御返事』に、

 「此の曼荼羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経題目を持つものを守護すべしと見えたり」(御書六八五頁)

と仰せであります。すなわち「御本尊様に対して全く疑うことなく、確信を持って信じていくならば、南無妙法蓮華経は、あたかも百獣の王である師子の一声が、あらゆる獣の声を圧倒して沈黙させてしまうように、どのような病も害することはできない。鬼子母神も、またその子供である十羅刹女も、お題目を持つ者を護るのである」と仰せられているのであります。
 大御本尊様に対する信心が強く深ければ深いほど、それだけ、鬼子母神等の諸天善神は、私どもを護ってくださるのであります。
 ただし、ここで注意することは、一般の日蓮宗のなかにはヽ鬼子母神を拝んでいるところがありますが、鬼子母神は法華守護の善神であって、拝む対象ではありません。拝む対象はあくまでも、御本尊様であります。このことを間違えて、鬼子母神を信仰の対象として拝むようなことがあってはならないのであります。
 鬼子母神等の諸天善神は、法味すなわち、正法の妙味を唯一の資糧として、威光勢力を増すのでありまして、今、末法においては南無妙法蓮華経のお題目が、唯一の法味となるのであります。
 よって『安国論御勘由来』には、

  「諸大善神、法味を喰はずして威光を失ひ、国土を捨て去り了んぬ」(同三六八頁)
と仰せのように、諸天善神は正法の法味を食することにより、威光勢力を増すのであって、もし正法の法味を食さなければ、その威光を失い、国土を捨て去ってしまうのであります。しかし、人々が正しい法を信じ、その法味を捧げれば、諸天善神は守護の役目を果たし、多くの人々も国土も守護されるのであります。
 信心の上から、このことを私達はよくよく注意しなければなりません。
 以上、今日は鬼子母神について申し上げました


大白法H28.08.16号 少年部大会お言葉

[,説話]

最終更新時間:2018年02月13日 19時52分19秒