経証
概要
経証(きょうしょう)とはお経に説かれている証拠。
仏法を信じる者は、お経に書かれてあることを自らの主張の基とすべきであることは当然であり、日蓮大聖人は、
「文証の所出を知らざる我意の浮言ならば之を用うべからず」
(法華真言勝劣事307)
「されば我等が慈父教主釈尊、双林最後の御遺言、涅槃経の第六には依法不依人とて、普賢・ 文殊等の等覚已還の大薩・法門を説き給ふとも、経文を手に把らずば用ゐざれとなり。天台大師 の云はく「修多羅と合する者は録して之を用ひよ。文無く義無きは信受すべからず」文。釈の意 は経文に明らかならんを用ひよ、文証無からんをば捨てよとなり。伝教大師の云はく「仏説に 依憑して口伝を信ずること莫れ」文。前の釈と同意なり。竜樹菩薩の云はく「修多羅に依るは 白論なり修多羅に依らざるは黒論なり」文。意は教の中にも法華已前の権経をすてゝ此の経に つけよとなり。経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云ふ事分明なり」
(聖愚問答抄389389)
等随所に仏経に答えを求めるべきだと、訴えられている。
最終更新時間:2018年12月05日 10時47分19秒