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顕正会

顕正会

 概要

顕正会(けんしょうかい)とは、かつて日蓮正宗の信徒団体だった妙信講という団体が、日蓮正宗より破門され、後に顕正会と自称したもの。
破門の原因は己義への執着につきる。世間でも師厳道尊といって、道を得るには師匠の指導を聞くを是とするが、仏法ではなおさらである。

妙信講はその講頭の浅井甚平衛・息子昭衛による扇動により日蓮正宗の善導に耳を貸さない体質があった。
創価学会を敵視し、日蓮正宗大石寺がそれまで御開扉を奉安殿という狭小な堂宇で行っていたものを、
創価学会の提唱によって日蓮正宗が正本堂という巨大堂宇を建設し、そこに奉安殿に安置されていた本門戒壇の大御本尊を移したことに異を唱え、これを阻止しようとして「流血の惨をも辞さぬ」等と脅迫まがいの言辞を弄し、日蓮正宗の意に反した為、昭和四十九年八月十二日に破門(講中解散処分)となった。
彼等は本門戒壇の大御本尊安置する堂宇は国立戒壇であった、広宣流布の暁に国家が建てねばおかしいと主張するのだが、
国立戒壇という名称は日蓮正宗では使わないし、どのような堂宇に安置しようと、大御本尊のおわします場所は「事の戒壇」であると大石寺歴代法主上人は明言しているので、大御本尊をお守りする観点からすれば、より安全な場所に安置するのは至当であって、正本堂を建ててそこに大御本尊を遷座申し上げたことに違法性は全くない。
ただ、後に同じく破門と成った創価学会と違うのは、表面上は大御本尊を敬っている姿勢を保持し、遙拝と称して大石寺の方角を向いて勤行をしているらしい点であるが、
既に破門された段階で、信心の血脈は切れているのである。御法主上人猊下を誹謗しながら如何に大御本尊を恋慕渇仰しようとそこには功徳は生じないどころか、謬った指導者の言葉を鵜呑みにしてか、顕正会員の反社会的とも取れる過激な行動が報じられている姿からはやはり謗法の仏罰が厳然と現れていることを確信する。


以下は とある論文よりの引用。鋭い指摘なので紹介します。
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創価学会が相承を否定し、信心の血脈を強調したことを批判して、

歴代御法主に伝わる唯授一人の血脈相承そのものの完全否定ではないか(中略)これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか(顕正新聞 平四・六・五)

と、当家の血脈の正当性を掲げていた。ところが平成十一年の本部指導会において、

まさしく御遺命に背いたゆえに、細井管長は御相承を「授ける」ことができず、阿部管長また御遺命違背の科によって「受ける」ことができなかった。「授」なく「受」なしであります(同 平一一・四・二五)

と、突然血脈授受を否定する発言をした。浅井がなぜ態度を一転させたのかといえば、それは自己保身のためである。顕正会は宗門が戒壇の大御本尊を奉安殿へ御遷座申し上げた際、「御遺命守護の完結」と称して法要を行ったが、浅井はそれまで、

やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜わる資格を得るのである(日蓮大聖人の仏法七〇)

と、「還御(御遷座)の折りには顕正会が宗門に認められる」と、会員に吹聴してきた。しかし当然日顕上人の御英断は浅井の助言によるものではなく、あくまで創価学会謗法化に対する破邪顕正のためである。従って顕正会の主張する「国立戒壇の御遺命」は依然として認められず、結果自身の存在意義に危機を感じた浅井は急遽邪智を巡らし、日顕上人の血脈を否定したのである。
 顕正会の血脈否定は、浅井個人の保身のための、浅はかな妄言に過ぎないのである。


参考:此の経は相伝に非れば知り難し
[用語,,組織]

最終更新時間:2015年05月12日 08時42分00秒