体験発表 御報恩感謝に生きる 鎌谷寺支部 t流k子  皆様、こんにちは。鎌谷寺支部のk流と申します。  今日、婦人部広布推進会で体験発表をさせていただけることを大変光栄に思い、心から感謝いたします。  まず初めに、一昨年五月二十四日享年七十三歳で天寿を全うされた同地区の友人、S木k美子さんについてお話させていただきます。(あえて生前の名前です)  s木さんとは、以前からお寺でお見かけしたことはありましたが、会釈をする程度でした。  9年前父の葬儀に自宅まで焼香に来て下さり、それ以来、親しくさせていただくようになりました。  s木さんは鎌谷寺が大好きで、信心が生活のすべてのような方でした。私に、言葉では説明出来ない程のたくさんの事を教えて下さり、感謝でいっぱいです。  s木さんの初七日を終え、程なくして私は菅野御住職の奥様に、  「s木さんの分まで折伏を頑張って、いつか体験発表、が出来るようにします」  とお約束申し上げました。  それからというもの、友人・知人に下種・折伏をするべく、今まで以上に連絡を取り、コミュニケーションを図るようにしています。  折伏活動で壁にぶち当たった際、菅野御住職様にご指導を賜り、  「必ず一念は通じますよ」  というお言葉を掛けていただき、幾度もその言葉に励まされました。  昨年の四月に御授戒を受けた二十年来の友人は、お母様の実家が京都では知らない人はいない有名なお寺でしたので、その環境下での友人を鎌谷寺にお連れするまでの道のりは、正直、大変険しく、長く感じました。  約束の日、車で自宅まで迎えに行き、鎌谷寺に到着しました。その途端、  「私は車から降りないから」  と言われました。これは、「魔だ」と思い、心の中でずっとお題目を唱えながら、友人に根気強く信心の話を続けました。  すると、車からは降りましたが、今度は「中には入らない」の一点張り。  説得をはじめ、一時間が過ぎた頃、お寺の中に入り、菅野御住職様と話をして、無事に御授戒を受ける事が出来ました。  そんな友人も、帰りの車中で、  「なんかすっきりした。ありがとう」 と今までに見たことのないような笑顔で話してくれました。  『躍進の年』は六名。『行動の年』は七名の方を折伏させていただきました。  折伏活動をする中から、友人・知人から見た自分を知り得ることとなり、活動にプラスになってい ます。  鎌谷寺は若い時より四十年以上お世話になっております。  学生時代の私は、学校が終わると京成千葉駅近くの鼓笛隊の練習に通い、休みの日はパレードや行事に参加していました。  昭和五十四年、両親と共に創価学会より脱会し、鎌谷寺直属の信徒となりました。社会人になり、初めてのボーナスで両親にこれまでの感謝の気持ちを込めて仏壇を贈り、その後、もう一度さらに大きな仏壇を贈る機会を得ることができました。  その際に母から  「貴女は将来、住む家には困らないわよ」 と言われましたが、その時は意味が理解出来ずに、絵空事のように聞いていました。  物心ついた時から母は病弱で、入退院を繰り返している状態でしたので私にとっては『何事も自分で考え、決断する』というのが当たり前でした。  両親の反対を押し切り、結婚。   御本尊様のない生活は困難の連続で結婚生活は八年で終止符を打ち、御本尊様のない家庭に幸せは訪れないと痛感しました。  離婚後、アパートを借り、やっと御本尊様を御安置させていただくこと、が出来ました。これまでの自分自身のご無礼をお詫び申し上げ、子供との新しい生活が始まりました。複数の仕事を掛け持ちし、昼夜を問わず、懸命に働きました。おかげさまで、四十歳で起業し 仕事も軌道に乗ることができました。  又、新たな目標に向かっている五十歳を目前に控えた時、自宅を購入することが出来ました。    仕事も家庭も生活が落ち着き始めたころ、一日中身体が重く、風邪の引き始めのような症状が一カ月以上続きました。  心配になり、市内の病院を二軒回り、二軒目の病院で、「紹介状を書くので、明日検査に行って下さい」と大学病院へ行くことを勧められました。 「自分の身体で何か起きている」との不安を抱えながら、翌日、紹介された大学病院で検査を受けました。  診断名は「白血病」でした。何らかの覚悟はしていたつもりでしたが、「もう人生のピークは終わりかな」と悲しくなりました。  また子供にどう説明しよう・・・とばかり考えていました。帰宅後、「病気の原因と克服」を何度も読み、反省と唱題の日々でした。  診断後しばらくして、入院。抗がん剤の投与が開始されました。  話には聞いていましたが、投与後二、三日で髪の毛がバラバラと抜け始め、三回目の抗がん剤投与が終わる頃には、全ての毛髪が抜けました。  肚を括って受け入れるつもりでしたが、脱毛は、想像以上に精神的なダメージを受けました。  毎日、見舞いに訪れる子供のために、弱音は吐かないと決めていましたが、娘から 「つらいことは話した方がいいよ」 と言われ、気持ちが楽になりました。  体調が落ち着き、自力で起き上がれるようになると、病室のベッドの上で、勤行を行い、横になっている時も常にお題目を唱えました。  子供は親を選べない、と言われていましたが、子供は親を選んでこの世に誕生すると教わりました。  入院中  「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」  「大悪は大善の来たるべき瑞相なり」 のご金言を言い聞かせていました。  楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのに、入院中は時計の針が止まっているかのようでした。  信心と治療の効果があり、桜満開の日、退院することができました。 久しぶりに帰宅した我が家。すぐに御本尊様にご報告申し上げ、しばらく、仏壇の前から動けませんでした。  自宅は、殺風景な病室とは異なり、見慣れた景色で心から安心いたしました。  この病をきっかけに、人生で何が一番大切かを気付かされました。また、常に感謝する気持ちを忘れずに、これまでの過去も大切に、日々楽しむことを心掛けています。  二〇一三年四月四日(父の月命日でもあります)、朝、娘と外出時間が重なり、通り道でもあったので、駅方向に走行していると、細い道で後ろから追突され、その追突の衝撃で私の車は電柱に直撃し、電柱は折れ曲がりました。  車内は、エアーバックが作動し、煙が充満。雲の中のように真っ白になり、今にも爆発しそうな状況でした。  ドアを開けようとレバーを引くも、ロックがかかり解除できなくなっていたため、力の限り窓ガラスを叩いてみましたがびくともしません。 「ああ、もうダメかな」  という思いが頭をよぎりましたが、唱題しながら必死に脱出を試みました。  すると、大人一人が何とか通れるだけドアが開き、先に娘を押し出し、後から私も車から出ることができました。  警察、消防の方々から事故現場を見て、 「大きな事故にも関わらず、お二人とも怪我ひとつないのが不思議ですね」  と声を掛けられました。  翌日お寺に行き、菅野御住職様にお話しすると、「転重軽受」ですよ、と説明してくださいました。    「生きる」とはどのようなこなのか、これまで体験させていただいたこと、信心の大切さを友人・知人にとれからも話していきます。  また、体験発表までに『折伏』をと願い、より一層唱題に励み、五月四日に折伏成就しました  今の私の折伏活動に赤信号はありません。病に負けている暇もありません。  総本山第六十六世日達上人が仰せになられた、  「表には見えないけれども、どかっとした心の底からの信心を」  というお言葉を肝に銘じ、鎌谷寺の講員一丸となり御命題達成に向けて、御住職様のご指導のもと邁進していく所存です。ご清聴ありがとうございました。 ---- R0205広宣流布推進会報より {{category 体験}}