トップ 一覧 検索 ヘルプ RSS ログイン

御本尊の変更点

  • 追加された行はこのように表示されます。
  • 削除された行はこのように表示されます。
御本尊(ごほんぞん)

 日蓮正宗の御本尊のこと。日蓮大聖人が顕された十界曼荼羅(じっかいまんだら)でその根本は弘安二年十月十二日に書き顕された本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊(だいごほんぞん)である。楠の板に漆塗り金文字にて中央に南無妙法蓮華経が大書され、その直下に日蓮とありその左右に釈迦仏、多宝仏をはじめとする仏菩薩が拝されている。日蓮大聖人は「日蓮の魂を墨に染め流して書き顕した」のが御本尊であり、中でも大御本尊を書き顕したのは自分の出世の本懐であると自身で言われている。
法華経が他の全てのお経よりも勝れているのは「南無妙法蓮華経」を説いているからである。では「南無妙法蓮華経」とは何かと言えば、あらゆる仏様が成仏する際に修行した根本の法である。。。。ということを我々に教えて下さったのは日蓮大聖人その人である。
 故に我々は「あらゆる仏様が成仏する為に修行した法」を日蓮大聖人の中に見いだすのである。これが日蓮大聖人を御本仏と拝する理由である。
 その日蓮大聖人は御自分の魂を曼荼羅として書き顕した。御本尊に南無妙法蓮華経 日蓮とある。この形は南無妙法蓮華経と日蓮は一体であるという意味と拝する。
故にこの曼荼羅は過去現在未来の三世および、東西南北上下全周囲の十方に生じたあらゆる仏様の成仏の素因となる御本尊なのである。
仏法は仏と法である。仏とは日蓮大聖人、法とは大御本尊であり、この2つは一体不二の存在であってこれを「人法一箇(にんぽういっか)」という。
この大御本尊を、日蓮大聖人からの唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈を継がれているその時代その時代の歴代の日蓮正宗の御法主上人(大石寺住職)一人が板または紙に書写したものが日蓮正宗各寺院や信徒宅に安置されている御本尊である。御本尊の書写は御法主上人だけにしか許されてない。故に日蓮正宗の僧侶や信徒は歴代の御法主上人が本門戒壇の大御本尊を書き写された十界曼荼羅を唯一の御本尊としているのである。それ以外のいかなる神仏も本尊とはしていない。
信徒の各家庭に安置されている本尊も必ず日蓮正宗大石寺から下附されたものであり、それ以外は(例え巧妙に写真複製等したものであっても大石寺から下附されたもの以外は)御本尊とは呼べないし、御本尊としての力が具わらない。近年創価学会は独自に日蓮正宗の御本尊を勝手にコピーし本尊と称して会員に渡しているが、これはニセ本尊であって、功徳がないどころか罪障を積む魔札である。
板や紙で出来たものが本尊と呼べるか、という疑難があるが、これの答えとして、紙で出来た物である、という理由で紙幣を粗末に出来るか? といえば解るだろう。日蓮大聖人よりの唯授一人の血脈によって書写された御本尊だからこそ本尊としての功徳があるのである。

{{category 用語,教義,こ}}