!!幸福の伝道師に  私は法清寺支部のT山T幸と申します。本日晴れの舞台へ私を押し上げて下さった法清寺御住職I十嵐G道御尊師に厚く御礼申し上げます。  そして一年前に、私を騙して、「ちょっとドライブに行こう」と法清寺へ連れて行き、Y田折伏推進部長と婦人部のS本さんと、熱弁を奮って入信させて下さったわが信心の師F田総地区長さんには、心の底から厚く御礼申し上げます。よくこの私を無間地獄からお救い下さいました。  私は大ワルのヤクザのなれの果て、テレビ新聞を賑わす事数知れず。第一回目は十代にNHKの現代の映像「ヤクザの底辺」で取り上げられてから、関口宏のテレポート6に出演したり、ルイビトン偽物販売事件で敗訴、数十億円の賠償金を請求されたり、上場会社のジャパンライフを脅迫したり。とにかくめちゃくちゃの大馬鹿でした。結果刑務所生活も人生の半分を出たり入ったりで人に話しても信じられぬ悲惨な人生を送って参りました。 !!入信の経緯  入信は六十数年前創価学会で母と共に池袋の常在寺で正月に今は亡き日達上人貌下より御授戒を受けました。  その数日前の大晦日に自殺を決意した母は、私と弟と雪の降りしきる中、東武東上線の上板橋駅近くで最終電車を待っていました。カンカンカンカン踏切の音が電車の来るのを知らせていました。覚悟を決めていた母と私に向かって、四歳の弟が「お母さん天国ってお腹いっぱいごはんが食べられるんだよね?お腹すいたよ〜。早く行こうよ〜」  この一言でハッと我に返った母は涙で顔をクシャクシャにして「もう一度お母さん頑張るから」  と言って自殺を居いとどまったのでした。御授戒を受けた後の母の信心は、すさまじいものでした。ぼろアパートの四畳半で電気は豆電球の下で、真っ赤な血を吐きながら、共同募金の赤い羽根の内職を夜中の二時迄やり、終わると毎日丑寅勤行、私の日課は百二十円を貰いに学校近くの内職屋へぼろ風呂敷に包んだ共同募金の羽を届けることでした。  学校のカバンもなく汚い風呂敷に包んだ教科書を一緒に入れて登校するのが毎日とても辛かったです。学校から帰ると母は毎日毎日折伏折伏で暗くなるまでは帰って来ません。 !!御不敬とその現罰  私はこの頃から御本尊様を腹の底から憎んでおりました。何が御本尊様だ。こんな紙っきれを拝んだって、腹が減るのは同じじゃないか。御本尊様は俺たちからお母さんを取り上げた、と。  私と弟は水ばかり飲んで、栄養失調になると親戚をたらい回しにされました。飯を食う弟に畑のものを大根を芋をとかっぱらって弟に食わせました。  小学校五年生の頃には母が勤行をしていると、仏壇を外へ投げ母には暴力をふる様になってました。中学へ入ればケンカと恐喝に明け暮れ、次々と退学ばかりさせられ、とうとう練馬区では入れてくれる学校はなくなり、板橋区に引っ越す始末。余りの悪だったので、もうお前はヤクヂになるしかないと決めつけられ、二年生の時には入れ墨も身体に入れ、ヤクザにスカウトされ中学生ヤクザになり、周りから恐れられる様になっていました。  十七・八歳の頃には親分より若衆は多く、数十人の子分を引き連れて暴れ回っておりました。  二十歳に近くなった時、折角母が安置してくれた御本尊様をとうとう足で踏んづけ水洗便所へ流してしまいました。これが私の犯した一回目の大謗法です。  そして二度目の大罪は右翼の親分と組んでの企み、大石寺を恐喝して何億かせしめてやろうというもっと大きな譲法でした。恐れ多くも前猊下(日顕上人)の名前を呼び捨てにし、街宣車の大型バスで先頭に立ち「ナンマイダーナンマイダー」と叫びながら大石寺の周りを一日中、マイクで我鳴り続けたのです。  しかし私は不幸中の幸いでした。一日目の街宣活動が終わった時点で別件の恐喝事件で逮捕され(この凶行に)深入りせずに済んだのです。続けていたならば間違いなく私も死んでいたと思うと身の毛もよだつのを今でも覚えます。  計画主犯の右翼の親分は、その後狂い死にしたそうです。私と一緒に御本尊様を流した舎弟は覚醒剤を、その便器で打って死にました。  私も大罰を受けて暗く汚い刑務所へ出たり入ったり便所で水を流す度に訳の分からない霊に取り懸かれ、寝れば覚醒剤のフラッシュバックで気が狂う程の苦しみが連続し大罰を受けました。  最後の刑務所を出た私は自殺を決意して堅気になりました。  地図を買って良い地名の死に場所を探しました。それが良い名の千葉県の大多喜町でした。喜びが多くて大きい。近所を見渡すと「養老渓谷」長生とは長生きと書く。金持ちになれそうな長者町。決め手は妙楽寺で安楽死だ。 !!大病に苦しむ  ところが御本尊様の罰は堅気になっても刑務所へ行かなくなっても、決して私を許しませんでした。  今度は大病が五つも続けて私を襲ったのです。  大動脈解離でお腹の血管が爆発して意識不明で倒れ三日もあの世へ行ってました。  そして訳の分からぬ難病、ナルコレプシー。  次は腸閉塞で、又々倒れ戸田中央病院で大手術を受け、又助かりました。  そして次はC型肝炎で肝臓が弱りきって無気力人間。  最後は脳梗塞でまた救急車で塩田病院へかつぎ込まれましたが、又々助けられ死ねませんでした。  御本尊様のカはすごい。母は私を救う為に、五百万遍の題目をあげきり助けてくれた。御本尊様は殺さぬ代わりに病で俺を苦しめ抜いているんだなと、そう思いました。  私はこれ以上の苦しみはたくさんだと思っていた矢先に藤田地区長が折伏をしてくれたのです。 !!信心で再起  私の入信は劇的なものとなりました。まず大御本尊様にお詫び登山一度目、二度目、六十数年ぶりの大御本尊様にお目通りした折は押さえきれぬ滂沱の涙は止めようがありませんでした。それ以後は喜びと功徳の連続です。罰しか受けてない人生を送っていたからこそ分かる本当の幸福。私はこれからは幸福の伝道師になろうと決心をし折伏も一年ちょっとで五名を達成させて頂きました。  その中には刑務所の中で離婚の判を押した妻も含まれます。  私を恨み抜き一切仕事に就かなかった息子が、初めて就職もしてくれ、私を許してくれました。  私の人生は恨み悲しみ辛い人生から喜びの人生へ本当に替わることができたのです。  私はここへ来て御本尊様にl念発起の大祈願をしました。百日の丑寅勤行です。今日で五十l日日となります。四十九日目に喜びの電話が元妻から入りました。借金二十年かかって払い終えたわよ。と。  「どうか御本尊様何の功徳も要りません。その代わり丈夫な体と強い意志を下さい」。  死を迎える日まで、広宣流布のお役に立てる体を下さい。犯した大謗法は強い立派な広宣流布のための戦士となってご奉公でお返しします。弱い体の私を御本尊様は必ず強くして下さる事を知っております。私は無疑曰信にて師は針、我は糸の信心を一生貫く事をお誓いして私の体験発表と致します。 ---- H2509某会報より収録※小見出しは当方 {{category どん底,体験}}