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死をも考えた倒産の危機等、次々と難問解決

 支部折伏誓願 達成の中で

 死をも考えた倒産の危機等、次々と難問解決



H説寺支部 K原さん(H説寺支部総会より)
大白法H21.02.01号より

 皆さんもご存知のように、昨年の秋より原油価格の急騰や原材料高の影響で物が極端に売れなくなりました。それまで好調だった私の会社の業績も急速に悪化し、資金繰りが厳しくなりました。年が変わっても、好転するどころかますます厳しくなり、もう御題目しかないと一日一時間の唱題を始めました。しかし一週間後、取引銀行にお願いしていた追加融資を断られてしまいました。
 「このままでは多額の借金を残して倒産してしまう。家族をはじめたくさんの人に迷惑をかける」。
家族に黙っているわけにもいかず、会社の事情を話し、とにかく今はがんばるしかないと、唱題を二時間に増やしました。
 年末に盲腸で入院した際に『ホームレス中学生』を読んでいた当時小学生の三男は、特にショックが大きかったようです。外から帰ってきても暗い部屋で暖房もつけずにいるので、
「ファンヒーターつけんかいな」
と言っても、
「寒ないねん」
と言います。妻が西日本決起大会のコーラス隊の練習で家を留守にしているある日、
「晩ご飯、何食べたい。豚の生襲焼きか鍋やったらどっちがええ」
と聞くと
「安いほうがいい」
と言います。なお一層、大切な家族のためにも何とかしなければと唱題に励みました。

 二月の西日本決起大会も無事大成功に終わった翌日、以前から進めていた一部上場企業との資本提携の件で、先方との面接がありました。これがうまくいけば危機を乗り越えることができます。必死の思いで面接に臨み、先方の担当役員の専務との面談も和やかに進み、前向きに検討してもらえるということでした。

 倒産の危機打開へ


 唱題重ねて


 ある日、I田講頭と婦人部長が心配して訪ねてくださいました。そのとき、今回の話がまとまるという確信があったので
「今はたいへんですが必ず乗り越えて、今年の支部総会で体験発表させていただきます」
と言いました。唱題の時間も二時間、三時間、四時間、五時間と、とにかく家にいるときは仏壇の前に座りました。
 次回は先方の社長を交えて今後のことを打ち合わせしようということでしたが、二週間たっても連絡はありません。
「必ず御本尊様が守ってくださる」
という思いと
「この話がダメになったらいよいよ覚悟しないと」
という不安が交錯します。そんな折、二月の広布推進会広布推進員の石井栄純御尊師が金の鉱脈の話をしてくださいました。
「必ず鉱脈にたどり着くと信じ、決して途中で諦めてはいけない」
というお話でした。こうなったら何があってもすべて御本尊様にお任せして、とことん御題目を唱えようと決意しました。

 二月末にようやく先方から連絡があり、
「実は担当の専務が脳溢血で倒れ、案件を引き継ぐ者がいない。専務の快復を待たなければ進められない。年内は無理」
ということでした。この資本提携が頼みの綱だっただけに、どうしようもない不安がこみ上げてきて、足元から血の気が引いていくのが判りました。当時、会社で一億五千万円の生命保険に入っていたので、
 「今死んだら誰にも迷感かけずに済むが、信心しているので自殺するわけにもいかないし。目の前を走っている車が突っ込んで来てくれへんかなあ」
 と交差点に立つたびに考えました。
 「いくら御本尊様でも事が事だけにやっぱり難しいな。平成二十一年は迎えられるのかな」
 と萎えそうな気持ちを、
 「いやいや、冬は必ず春となる。大悪起これば大善きたる。御本尊様は越えられない試練は課さない」
 と、御法主日如上人猊下の御指南や武安御尊師の御指導を励みに、さらに唱題を重ねました。

 ふとK君を思い出し


 そんな折、知り合いのK君のことが頭に浮かびました。彼とは、会社は違いましたが、十年ほどテレビ番組制作の仕事を一緒にしておりました。彼が昔、創価学会学生部の幹部をしていたのを知っていたので数回お寺の話をしましたが、聞く耳を持ちませんでした。その後、彼は独立して制作会社を起こしましたが、多額の借金を作り倒産、離婚して四年はど前から行方知れずとなっていました。
 妻に「今年はK君を折伏する」と話し、その日から連絡先も判らない彼の折伏を祈りました。すると、彼と共通の知り合いが彼の保証人になっていると判り、彼の新しい携帯電話の番号を教えてもらいましたが、今どこにいるか判らないし、携帯にかけてもほとんど出ないということでした。
 私のほうも仕事の関係で時間がとれず、なかなか連絡できない状態でした。そのような中、私の仕事の前の提携先がダメになった後、別の商社から、資本を出してくれて事務所もその商社のビルに移し、在庫の面倒も見てくれるという好条件の話がありました。社長からの快諾をいただき話はトントン拍子で進みましたが、今年に入ってその商社も業績が落ち込み、話は立ち消えになってしまいました。並行して進めていた四つの銀行への融資のお願いも、返事すら帰ってきません。売れる物は何でも売って、保険もすべて解約し資金繰りに充てました。

 退路は断たれた


 とうとう死ぬこともできなくなりました。あと私にできることは、唱題とK君の折伏しかありませんでした。
 四月、資金繰りの目途がたったある日、唱題をしていると胸にピピピと来るものがあり、K君の携帯に連絡すると一発で繋がり、二日後に会う約束ができました。今日は絶対に折伏を決めると決意の御題目を唱えました。久しぶりに会い近況を聞くと、借金を抱えて離婚し、家族もお金もなく行く宛もないので、知り合いの家に転がり込んで養ってもらっているということでした。
 「御本尊様は」
と聞くと、
「学会の会館でもらって今も持っている」
と言います。
 「学会の本尊なんか持ってたらあかん。ちゃんとお寺で御下付戴いた御本尊にすぐ替えないと、たいへんなことになる」
 と言うと、
 「既にたいへんなことになってるけど、やり方が判らんかった」。
 「俺がお寺に一緒に行ったるから正しい御本尊様をお受けしよう」
 と言うと、あっさり
 「判った、すべて任せる」
 と言ってくれました。その間およそ五分、余りにもあっけない折伏です。
 そこで
 「まさか今日、俺がこんな話すると思てへんかったやろ」
 と言うと、
 「実はしばらく前にK原の夢を見た。君に謝ってる夢や。その日から毎晩、丑寅勤行して電話待ってた。K原が必ず何とかしてくれる。会ったらK原の言う通りにしようと決めてた」
 と言うのを聞いて、私は感無量になり、そこのトイレに駆け込みました。
 「祈りが通じた。やっぱり御題目はすごい。御本尊様ありがとうございます」。
 感激の涙があふれ、なかなか外に出られませんでした。

 支部誓願達成の日

 会社の危機も解決


 五月六日に一緒にお寺に行って勧誡を受ける約束をして、その日は別れました。そして当日一月末から唱え始めた御題目が三百五十時間、およそ百万遍になったときK君の勧誡御本尊下付が成就いたしました。そのとき、
 「去年、一昨年と年収は六十万あるかないか。今年も七月のNテレビの高校野球N県大会の中継まで仕事がない」
と言っていました。
 私は、
「今日から生まれ変わったつもりでしっかり御祈念していけば、きっと御本尊様が守ってくださるから」
と言って別れましたが、五日後の御講で会ったとき、
 「あれからどんどん仕事が来て、五、六月で十一件も入った。未回収になっていた売り掛け金の回収の見込みも立った」
 と喜んで報告してくれました。その後、
 「七、八月の仕事も目途がつき、去年とはぜんぜん違う。五月六日から人生が変わった。これからもしっかり信心に励んでいく」
 という手紙が来ました。御本尊様のお陰で私は本当に良い折伏をさせていただいたと改めて感謝いたしました。
 K君の折伏が成就してすぐに、西のある商社と東のIT企業の二社から資本提携の話が来ました。先にIT企業の話を聞こうと、早速先方の社長と面談しました。経済の先行き不透明感で業績がますます悪くなる中、果たして話がまとまるのかとても不安でしたが。話はトントン拍子で進みました。折しも支部一丸となって折伏誓願達成に向けて、一段と折伏の渦が巻き起こっている時でした。
 そして、ついに念願の折伏誓願目標を達成した六月三十日、同じ日に異例の早さで無事、資本提携が成立しました。銀行の借入金や借金はすべて肩代わりしてもらい、資本金も増資、今後の取引についても連帯保証してくれることになりました。当初考えていた以上の条件でした。これで安心です。
 折伏誓願達成と資本提携が同じ日に叶うなんて、何という巡り合わせでしょう。一月末からの唱題がおよそ百五十万遍になっておりました。その後、世界を襲った金融危機、それに伴う景気のさらなる悪化を考えると、まさに危機一髪、絶妙のタイミングでの資本提携だったと思います。
 最高のタイミングで最高の選択をさせていただいたのだと思います。祈れば叶う、すべてを御本尊様にお任せすれば乗り越えられるということが、私の中でさらに大きな確信となりました。
 しかし次の日、大学四年生の長男に、就職の不採用通知が来ました。春からの就職活動で、希望の不動産会社の採用担当者から、ほぼ採用が決まっているので、もう就職活動はしないで欲しいとまで言われて安心していたのですが、土壇場になって採用を大幅に減らしたようです。本人のショックもたいへんなものですが、親の私もショックでした。景気が急速に悪化している中、また一から就職活動を始めて、果たして決まるのかどうか心配でした。本人には、
 「不動産はますます厳しくなる。御本尊様がもっとよい就職先を探してくださるので気を落とさずにがんばっていこう。専門学校へ行って手に職をつけるのもいいし、留年して来年再チャレンジしてもええやないか」
 と、何とかモチベーシmンを保たせようとしました。
 このままでは彼が不憫だし御本尊様を疑うようなことだけは絶対にさせたくない。長男が喜ぶ姿を見たい。ただその思いで御題目を唱えました。しかし八月、九月になっても決まりません。十月に入ると内定を取り消す企業まで出始めました。再来年の卒業生の就職活動も始まり、いよいよ「留年して就職浪人」が現実味を帯びてまいりました。
 

 今度は義母の入院


 そのような状況の中、妻の母が腎不全で入院しました。義母は生まれつき腎臓が一つしかなく、その一つの腎臓も年と共に働きが悪くなり、将来的には人工透析が必要だと言われていましたが、とうとう尿毒症を起こし人工透析をすることになりました。
 全く食欲がなく食べ物を見ると吐き気をもよおすという状態で、見る見るやせ衰えていきました。透析が始まれば食欲も出て体力も快復すると言われましたが、八月の終わりに透析が始まっても、その成果は一向に見られません。相変わらず食欲はなく、おまけに週二回の透析の後は必ず高熱が出るようになりました。免疫力が弱まり結核を併発しているということでした。
 妻と妻の妹が毎日交代で、何とか食事をさせようと病院へ詰めますが、食べ物を見ると気分が悪くなります。そのうち歩くことも不自由になりました。透析が始まっても良くなるどころか数段悪くなった義母を見て、今度ばかりは生きて家に帰れないだろうという思いを強くしました。環境を変えれば食べられるようになるのではということで、九月の末に外泊許可をもらいました。
 当日病院へ迎えに行くと、義母は病室にいません。私たちの姿を見つけた看護師さんが駆け寄ってきて、「朝から容態が悪くなり、個室に移しました」と言いました。急いで行ってみると意識がなく、人工呼呼吸器をつけられていました。朝から高熱が出て血糖値が急激に下がり、呼吸も困難になってこのままでは危ないということでした。家族を呼んでおいてくださいと言われ、いよいよその時がやってきたと
思いました。
 翌日、御秘符を戴いた後は容態が徐々に落ち着いて、熱も下がり意識が戻りました。しかし以前と様子が違います。もともと統合失調症で「お腹の中に人が二人」入っていて、よくその人たちと会話をしていた義母でデが、今度は、家族はもちろん自分のことすら判らなくなりました。私たちは呆然となりました。
 そしてとうとう精神科の医師から、統合失調症に加えて認知症がかなり進行していると診断されました。高齢者が入院すると、ストレスで急激に認知症が進むことがあるそうです。数カ月もまともに食事をしていないので体力がないはずなのに、病院の中を歩き回ったり点滴を引き抜いてしまったりするのでベッドに拘束され、一日中わけの判らないことをぶつぶつつぶやいています。医師から
 「いつまでもこの病院にいていただくわけにはいかない、かと言って体力が快復しても家族が面倒を見ることは不可能なので、透析のできるそれなりの病院を探してください」
と言われました。義父も認知症で週三回ディサービスに行っており、家に義父とそれを上回る症状の義母と、認知症の老人が二人になります。この状態がずっと続くことになると、妻はもちろん、家族の負担もかなりのものです。折伏誓願目標を達成し、資本提携成立の後も、長男と義母の件があったので気持ちを途切れさせることなく唱題できました。長男も今まで以上に仏壇の前に座るようになりましたが、私の目から見ればまだまだです。自分が誰か判らない義母については、言うまでもありません。
 こんな状態で来年の大慶事を迎えられるのか。何とも言えない重い気持ちを奮い立たせるように、支院長様に教えていただいた通り
 「一心欲見仏 不自惜身命、二人を宜しくお願いいたします」
と祈り、唱題しました。

 そしてすべてが解決


 十月二十九日へ長男に内定通知が来ました。最後の最後に受けた会社に採用が決まりました。私はホッとする反面少し不安になり、
「何社も何社も落ちた人を雇ってくれる会社って、どんな会社や?」
 と聞くと、何と一部上場企業の固い会社だと言います。
 「仕事はきついと思うけどやり甲斐はある」。
 それを聞いて私は自分の就職の時より嬉しく、天にも昇らん思いで、長男と一緒に御本尊様に感謝の唱題をいたしました。唱題はちょうど八百時間になっていました。
 その週の土曜日、病院で妻が長男の就職のことを報告すると、義母は「よかったなあ」と、久しぶりにまともな返事をしました。その日を境に意識はどんどん戻りH説寺の御会式の翌日、十一月四日には完全にまともになっていました。認知症も統合失調症の症状も消え、あれだけ食べなかったのが、「餃子が食べたい」と言ったそうです。たったそれだけのことですが、家族にとってはこの上ない喜びです。夫婦で御本尊様に感謝申し上げ、今日はここの店、明日はあの店と、妻は嬉々として餃子を買いに走りました。
 こんな義母の快復ぶりにへ担当医も精神科の医師もとても不思議がり、様々な脳の精密検査をしましたが、正常ということでした。ここ数年いた「お腹の人」もいなくなりました。
 十一月二十六日に無事、退院できました。一月の終わりの会社の危機から始まって、長男の就職、義母の入院。他にも次から次へ襲いかかってくる難問に、一日たりとも心が休まる日はありませんでした。正直「どこまでやればいいのか」という気持ちが、何度も何度も沸き上がってきました。そのたびに御法主上人猊下の御指南を拝し、武安師の御指導を思い出し、御本尊様に向かいました。今こうして皆さんの前でお話をさせていただけること、朝晩御本尊様に向かい勤行唱題せていただけること、毎週お寺に参指させていただけること、それらがとても有り難く、何物にも代え難い喜びです。
 今回体験せていただいた感動と、異体同心・僧俗一致の信心で夫婦共々、武安師 のもと御命題達成に向けて、より一層精進してまいります。

最終更新時間:2016年01月07日 17時18分05秒