玉林寺支部 K村T弘さん(香川布教区広布推進会より)  私は十二年前に玉林寺で入信していました。二年前から、再度信心をがんばってみようと発心し、現在に至っています。今日は、この二年間のことを発表させていただきます。  平成二十五年八月に、玉林寺に新しい御住職として高見信妙御尊師が来られて初めての御報恩御講で、私は御法話を拝聴して、折伏することの大切さが判りました。そして、今日から折伏をがんばっていこうと決意しました。 !! よし、がんばろうと決意したその日に  その御講からの帰り道のことです。私は大型スクーターで大事故を起こしました。  その時の状況ですが、前方を走行していた自家用車が、突然、減速して左折してきました。  車と接触しそうになったので、それを避けるために私は急ブレーキをかけ、急ハンドルを切りました。するとタイヤがロックし、その結果、側道の路肩に乗り上げたスクーターは空中に大きく飛び上がりました。慌てた私は、何とか足を地面に着けてスクーターを止めようとしました。  そのため、左脚の内側がバイクのカウルと地面に挟まれ、ずたずたに皮が裂けてめくれ上がり、大量に出血しました。その時へ左脚くるぶしの骨が露出して、白く見えていたことを覚えています。  かろうじて車に接触しなかったことにより、頭や上半身に怪我をしなくて済んだことは、不幸中の幸いでした。  この時、私には左脚の感覚はなく、激痛に襲われていました。確実に骨が折れたと思い込んだ私は、 「ああ、これからは障害を抱えた人生が始まるんだ」 という考えが題をよぎりました。救急車が到着するまでの間も、道路はどんどん血で真っ赤に染まりました。痛くて痛くて、たまりませんでした。 !!  意外にも怪我は軽く  気がついたら、自然に震えながら御題目を唱えていました。 「御本尊様、助けてください」 と必死に祈っていました。救急車が来て、救急隊員の前でも、ずっと御題目を唱えていました。  その後へ病院に運ばれて精密検査が行われました。  詳しく調べた結実、皮膚が足首から腰にかけて二十センチほどへめくれ上がっている状態でした。しかし、一番心配していた骨折はありませんでした。また、筋肉、腰、神経にも損傷がない、とのことでした。これほど骨が見えるようなひどい傷だったのに、皮膚以外にどこにも異常がないのは不思議だと、担当の医師が驚いていました。  それから四十日間、入院しました。長く辛い日々でした。治療のたびに患部を洗浄しますが、これが激痛との闘いでした。  手術は二度行われ、二回目には皮膚の移植を行いました。私は必死で御題目を唱え、手術の恐怖を無事に乗り越えることができました。  また、入院中へ高見御尊師がお見舞いに駆けつけてくださいました。御報恩御講の時に駐車場の整理をしていた私が、その帰り道で事故に遭ったと聞かれて、気の毒に思われ、来てくださったとのことでした。  この時、御導師は私に尋ねられました。 「御講の法話を聞いて、折伏をしようと決意されませんでしたか」 と。 !! 折伏の決意により障魔が起こる  私は、 「はい、折伏を決意しました」 と答えました。  御尊師は、 「駐車場の整理をされ、さらに折伏をがんばろうと発心されたから、それをさせまいと魔が競ってきて、事故になったんだと思いますよ」 と言われました。私は、お寺の帰りなのに、何で事故に遭わないといけないんだろうと不信を抱きかけていましたが、教えていただいて、この魔に負けないように信心をしっかりがんばらなければと、さらに決意しました。  それからは、病室で朝夕一日も欠かさず勤行・唱題を行いました。  その結果、退院時には松葉杖をつくことなく、普通に歩くことができました。会社にも退院した翌日から通勤できるようになりました。とても、交通事故で一ヶ月以上も休んでいたとは思えない、スムーズな職場復帰でした。  私は、退院後すぐにお寺に参詣しました。  この時、高見御尊師より、支部の年間折伏誓願目標が達成していないことを教えていただき、改めて、何としても折伏をしなければと決意しました。  それからは心を入れ替え、まずお寺で毎朝の早朝勤行に参加しました。夜も、午後八時から一時間の唱題会に参加し、その後へ引き続き行われる午後九時からの折伏報告会に参加しました。  帰る時間は夜中の十一時を過ぎることも多々ありましたが、御住職様の御指導を少しでも受けられることが、大きな功徳を得るチャンスとなることを聞いたので、積極的に参加しました。そうして、いただいた御指導を念頭に、折伏行に取り組みました。 !!  折伏対象者のリストをもとに  折伏対象者リストを作成すると、八十名になりました。  それを、一人ずつ当たっていきました。その中で、昨年中に三人の折伏を成就できましたので、そのことをお話いたします。  まず、縁ある人に話そうと思い、会社に派要社員として来ているK氏を折伏しました。そうしたところ、このK氏から大きな反発を受けました。 「川村は会社で宗教勧誘をしている。川村と話すときは、宗教勧誘されるので気をつけろ」 といった内容の一斉メールを、K氏の所属する派遣会社からのスタッフに流していました。  次第に、私はすべての派遣スタッフから、仕事の話ですら敬遠されるようになりました。またK氏は、所属している派遣会社に、宗教勧誘を受けたと苦情を言ったため、派遣会社が私の上司に、私の宗教勧誘を止めさせるようにと依頼してきました。  私は上司に呼び出され、 「たとえ社外であったとしても、宗教の話をするだけで、君の立場上、パワーハラスメントと受け取られることがある。以後気をつけるように」 との話がありました。 !!  悩みながら折伏続け障魔も功徳も体験  このように、私が同僚に折伏を始めた途端に魔が競い警り、会社内の知人への折伏は難しくなりました。  私は会社に迷惑をかけたいわけではありません。でも、折伏は自他の幸せのためですから止めるわけにはいかず、何とか折伏できないかと、唱題し、注意を払いながら続けていきました。  そうしたところ、派遣社員のC村さんが真剣に話を聞いてくれました。その翌日にお寺に一緒に参詣し、入信できました。  続いて、同じく派遣社員のE原さんを折伏したところ、彼も話をした翌日にお寺に参詣し、これまた入信できました。  障魔の用きは、入信して間もないE原さんにも起きてきました。  E原さんと同じ職場に、私の折伏に反発したK氏がいます。E原さんが日蓮正宗に入信したと聞いて、早速、仕事で嫌がらせをしてきたとのことでした。  でも、E原さんは、これに負けずに信心していました。そうした中、E原さんのお母さんが車で大事故を起こしましたが、幸いにも大事に至らずに済んだのです。  私は、子供であるE原さんの信心の功徳がお母さんに巡って、守られることがあると話しました。すると彼は、御本尊様の有り難さを実感し、喜んでいました。ご両親を折伏することが一番の親孝行であることを話したところ、現在彼は、ご両親の折伏に取り組んでいます。  さて、派遺会社に私の苦情を訴えたK氏ですが、折伏してから一ヶ月後に原因不明の頭痛に襲われ、二週間無断で欠勤しました。今も定期的に病院に通っています。この現証を聞いて、途中で折伏を止めなくてよかったと感じました。K氏入信し罪障消滅できるよう。折伏していきます。 !!  思いもよらない折伏の功徳  こうした折伏の成果でしょうか、私自身にもいろいろと功徳の現証が生じてきました。  まず、スクーターの事故の入院と手術に対し、会社で掛けていた保険から、保険金が予想以上に出ました。  それだけでなく、今回の事故は前を走行していた車の運転がきっかけで起きたことを、改めて警察に申し入れたところ、交通事故の調書が書き換えられることは、なかなか通常はないそうですが、特別に再度、事故の調書が作成されることになったのです。  その結果、当初、車と接触がなかった理由から自損事故で処理され、私が掛けていた保険から四十万円しか補償されなかったものが、一転して相手の自賠責保険からも最高額が出ることになりました。これには保険会社の顧問弁護士も、不思議なことだと驚いていました。  私としても、東日本大震災の翌年より給与が三割カットされた苦しい生活状態にあったので、この保険金額の増加は有り難かったです。  また、六年前に両親が住むために購入したマンションが、五年前に父が他界してから空き家となっていたことで、無駄にローンの返済とマンション維持費にお金が消えて、家計の大きな負担となっていました。しかし、この物件を好条件で賃貸することができました。  こうして経済苦が緩和され、スクーターの事故で大怪我となるところを軽く済ませていただいたのみならず、生活での悩みも解決できました。  これらのことから、折伏を決意し、実行していく功徳の大きなことを確信した次第です。 !!  御住職のもと信行に励む決意  これらの体験から、私は師弟相対の信心が大事と感じています。師匠たる宗祖日蓮大聖人様の教えなくしては、成仏することは叶わず、功徳も戴けません。そして、御法主上人猊下より末寺に派遣されていらっしゃる手続の師匠である御住職の御指導を受け切って信仰することで、大きな功徳を戴けることを私は実感しました。  これからも御住職様から離れることなく、しっかりと御指導を受け切り、平成三十三年、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年・法華講員八十万人体勢構築に貢献できるよう、一人でも多くの折伏が成就できるようにがんばっていきます。 ---- 大白法H280216より {{category 体験}}