昨年(2021)の百日間唱題行以降、七名の折伏が成就 宮崎県小林市実報寺支部 K屋礼子  この信心に出会う前の私の人生をひと言で言うと、「いばらの道」でした。  何が人生がよくなりそうな、パワーストーンやパワースポットといった様々なものに頼りつつも、「自分自身の努力で乗り越えられないものはない」と思って、必死に生きてきました。その結果、原因不明の急性肝炎を発症したり不眠に悩まされたり、体のあらゆる所に痛みを感じ、体調全般が徐々に悪くなったりして、病院で処方されるたくさんの薬を飲みながら何とが過ごしていました。   !! 勤め帰りに気になったお寺    当時は看護師の仕事をしており、遅番の仕事帰りに通る道路沿いにあるお寺の灯りが、だんだん気になり始めました。電気が点っているけど、中で何をしているのだろう、といった思いがらでした。  しばらくすると、外の白壁に掲示してある言葉を、立ち止まって読むようになりました。その中の、  「妙とは蘇生の義なり」(御書三六〇頁)  「冬は必ず春となる」(同 八三二頁) という言葉が、強く印象に残りました。   !! 折伏を受け「あのお寺」へ    そのお寺が、私が今所属している実報寺です。あの日々が、私の入信に向けての始まりだったのだと思います。  ある日、営業の仕事をされているH島淳二さんが家に来られました。その時に初めて会ったH島さんは、私の疲弊した表情から、尋常な状況ではないと感じられたようで、ご自身が日蓮正宗の信心をしていることや、その信心のすばらしさを、丁寧に話してくださいました。  話を聞いているうちに、私が行ってみたいと思っていたあのお寺のことだと判り、自分の思いと合致したことに驚きと喜びが涌き起こりました。こうなったら一日も早く、お寺に連れていって欲しいという思いでした。  後日、実報寺に参詣し、御住職様(河野正朗御尊師)からお話を伺って、「ここしかない」と心を決めました。  御授戒を受けたあと、H島さんは、ご自身の入信のきっかけや、これまでの体験をお話くださいました。伺いながら、感謝の思いでいっぱいでした。それから、今年で八年目となります。入信してからも様々なことがありましたが、御本尊様に守っていただき乗り越えてまいりました。  なお、当時は班長をされていたH島さんは、本年より講頭さんになられました。   !!家の跡継ぎとして追善供養を務める    私は我が家の跡継ぎとして、両親の面倒を見てきました。母は六十七歳のときに大腸ガンで他界し、その後は父と二人暮らしとなりました。  父は心臓が悪く、さらに胃ガン、直腸ガンと次々に病に冒され、手術のための入退院を繰り返しました。  父は苦しさのあまり、帰宅した私の顔を見るや否や体調が悪いと愚癡ばがりこぼす毎日で、病院で精いっぱい看護の仕事をして帰宅する私にとって、そのような生活が心身共に苦しくなっていきました。姉や妹にサポートを頼んでも聞き入れてもらえず苦しい状況ではありましたが、毎朝お寺に参詣して勤行し、状況が好転するよう祈って唱題しました。  そうしているうちに、「父と信心していきたい」という思いが募り、父を入信させることができました。これでよい方向に向くだろうと安心したのもつかの間、父は「無理やり入信させられた」と姉に連絡し、離れて暮らしている姉や妹が激怒して、家族・親戚と共に実報寺に押しかけてきてしまいました。  結局、姉たちが父の面倒を見ると言い、私にも、すぐに信心をやめるようにと強く迫ってきました。私は何としてもこの信心を貫くと決めていましたので、御本尊様と落ち着いて生活できる所、お寺にできるだけ近い所に住みたいと、毎日願いました。  すると、すぐに住める物件の情報が耳に入りました。そこは家具や電化製品付きで、お寺から三百メートルの近さ。願った以上の物件で、こんなことがあるのかと驚きつつ、御本尊様への感謝でいっぱいでした。これで気兼ねなく信心できると安堵しましたが、父には姉たちがついていて、父は信心の喜びを体験できないまま、姉と妹の住む地域の施設に入れられました。  後継者として在宅で父の面倒を見続けたいという私の願いも叶わず、父は亡くなり、姉が喪主となって邪宗教での葬儀が執り行われました。  姉たちが、父の遺した土地やお金のことしが頭にないのが残念でしたが、今の状況すべてが過去に自身のしてきたことの報いであると、自然と受け取れるようになっておりましたので、冷静に対応できました。また、日々の勤行や塔婆供養による追善供養を行うことが信心している私の務めととらえ、心穏やかに御題目を唱えられることに幸せを感じております。   !!先輩について歩き折伏を知り、実践    入信してすぐの頃は、折伏という言葉を聞いても、何をするのか、どのようにすればいいのかが判らずにいました。ある時、折伏とは何なのか知りたくなり、壮年部の平林さんに頼んで折伏活動に連れていってもらいました。  先輩についていくことで折伏というものを味わい、「袖振り合うも多生の縁」と諺にあるように、自分に縁のある方々すべてが「折伏対象者」という気持ちで、常日頃から他人の話や相談事を丁寧に聞き、タイミングがあればすかさず信心の話をするようになりました。  これまでに二百人ほどの方に仏法の話をしてきました。  折伏を常に考える生活を送る中で、不思議な折伏のご縁がありました。  先ほど申し上げた好条件の住まいは、私が住む前は霊媒師の方が住んでいました。ある日、その霊媒師を訪ねてI畑さんという方が突然来られましたので、ここにはいらっしゃらない旨をお伝えしました。ふと、霊媒師の所へ足を運ぶということは何かお困りのことがあるはずたと思い、信心の話をしていくと、I畑さんは病気で悩んでいることが判りました。  そこからは自分の体験を話し、因果応報の道理を伝えたり病気の原因について話したりと、夢中で折伏していました。このI畑さんの入信が、私の初めての折伏成就でした。また、この住まいが、私が看護師として担当していた患者さんの持ち家だったことも知り、不思議な繋がりも感じました。   !!百日間唱題行開始で一層の仏道修行誓い    その後もコツコツと折伏を続けてきた結果、昨年は七名の折伏が成就いたしました。  昨年の百日間唱題行の開始と共に、自分の時間をできる限り仏道修行のために使おうと決めたタイミングで、家庭訪問に回り始めました。七月の熊本豪雨の際に、青年部のA坂さんの、人吉市にあるご実家が被害に遭われましたのでお手伝いに行きました。その時、心の中に、折伏していくしかないのだ、という思いがありました。というのも、私も十八歳の時に同じように災害に遭い、築二年目の家が全壊する経験をしていたからです。家の上のほうに神社があったにもかかわらず守ってもらえなかったという記憶もあり、片付けをするたびにA坂さんのお母さんへ、邪宗教では守られないことをお話いたしました。  そのように日々活動する中で、職場の寮生二人が『ニセ本尊』を持っていることに気づきました。何とか話がしたいと御祈念していると、そのうちの一人、N原さんをお寺へお連れでき、N原さんは勧誡を受けることができました。もちろん職場では宗教の勧誘を禁じられていることは判った上での行動でした。  数日後、施設長から呼び出されました。もう一人の創価学会員が、私の行動の一部始終を上司に報告していたようです。  施設長から「職場での宗教勧誘がダメなことは判っているでしょう」と注意を受けました。私は、そうと知っていても、不幸になることが判っているのに黙って見過ごすことはできなかったという内容の返事をし、結果的には施設長を必死で折伏していました。話し終わった後、「どんな処分でも受けます」とお伝えすると、施設長は「これまでの業務評価も高いあなたを辞めさせることはない」と言われ、勤務場所の変更となりました。  傍から見ると、勤務場所の変更はよくない状況かも知れませんが、私にとっては好条件の場所への異動でした。このようにして願いが叶うこともあるのかと驚きました。  N原さんの折伏の件は、新しい勤務先の会社でも問題になりましたが、日頃から私の話を聞いていた方が「変化の人」となって支えてくれました。私がどのような思いで信心の話をしているのかを判ってくれていた人がいて、有り難かったです。   !!折伏対象者が次々に現われる    以前、いとこに樒のことで相談したことがありました。そのことを覚えていてくれて、樒を育てているという方を紹介してくれましたので、折伏のチャンスととらえ、御供養の尊さの体験談を話し、実報寺のリーフレットもお渡ししました。その経緯を御住職様にお話して、十一月十六日に直接、御住職様から折伏していただきました。折伏成就には至りませんでしたが、この方が入信できるよう、御祈念を続けています。  同じく十一月のこと、夕の勤行の最中に電話が鳴り、勤行後に折り返し電話してみると、かつての同級生のO原さんから、三十年ぶりの突然の電話でした。  「中学生の頃にK屋さんに意地悪ばかりしていたことを、どうしても直接詫びたかった」という話でした。  私は記憶がありませんでしたが、どうしてもと言うので、家にお招きしました。話していく中で、O原さんが次々と病気に罹り、それらの病気が原因で大阪から小林市の実家に帰ってきたことを知りました。あまりにもたいへんな状況なので「まさか創価学会ではないよね」と尋ねると、学会員だという答えが返ってきました。  すぐにお寺へ電話でご報告し、二人で参詣して、御住職様からお話していたたきました。O原さんがその後、大阪に戻ることになった際、手元にあるのが『ニセ本尊』の可能性が高いので、特徴を話し、戻ったら結果を知らせてと頼みました。  すると、間違いなく『ニセ本尊』でした。しかし、どのようにして自分が創価学会に入ったのかも、よく判らないとのことでした。O原さんは、謗法を払って十一月十四日に御授戒を受けました。  十一月二十三日には御住職様が、岡原宅の入仏式のために、大阪まで行ってくださいました。私は貴重な機会を無駄にしてはならないと思い、O原さんの家族が家に全員揃ってお待ちするようにと、O原さんを励まし続けました。  当日は首を長くして連絡を待っていました。夕方、同行された方から、入仏式の後で大阪の平等寺へ参詣し、家族五人が御授戒を受けることができたとお報せいただき、感激で涙がこぼれました。現在、大阪にいるO原さんには、メールや電話で激励しつつ育成を図っているところです。  今、発表いたしました七名の折伏成就は、いずれも私の所へ飛び込んできた方ばかりでした。日々の勤行・唱題、百日間唱題行の功徳としか言いようがありません。   !!正直に素直に我見挟まずに    振り返りますと、父の入信に大激怒してお寺に押しかけた親戚は、それぞれたいへんな状況になりました。姉は胃ガンと大腸ガンで苦しんでいます。謗法の中で生きる姉や妹には、恨みつらみ、お金などへの欲が渦巻いて、未だに仏法の話を聞けないでいます。  私自身は三年前、朝起きると同時に激しいめまいで動けなくなり、救急車で運ばれました。原因が判らず、大学病院に検査入院をして、シェーグレン症候群、レイノー病等の難病指定の病が見つかりました。治療としてはステロイド薬しかありませんが、私は飲む必要がなく経過観察です。業病を軽く受けさせていただけていることは、最高の妙薬を御本尊様から賜ることができたお陰と、日々感謝しています。  延岡市在住の娘は、私が、過去と違いこのような病気でも生き生きしている姿を見て、信心のすごさを実感しているところです。そこで、娘夫婦、孫たちと、日々御本尊様に感謝しながら共に信心させていたたけることを切に切に願って、御住職様からの激励のメールをご許可をいただいて配信し、御指導に触れられるようにしています。  昨年は、御住職様の御指導通りに素直に実践することで、御本尊様が折伏すべき方を私の目の前に寄越してくたさるのだと実感した一年でした。自分の力で行うのではなく、唱題で心を磨き、その磨いた心で御指導を仰ぎ、我見を挟まず慈悲の心で行うのが「折伏」であると体験させていただいたからこそ、この体験を皆様にお伝えしたい、その思いでいっぱいです。  そして「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の年」の今年も、異体同心の唱題をさらに重ね、折伏に邁進してまいります。 ---- 大白法R030516号 {{category 体験}}