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全ては御本尊様のおかげの変更点

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全ては御本尊様のおかげ
  清涼寺信徒 U木Mみ さん
 皆さんこんにちは。私は昭和四十七年茨城県の筑波山麓にある筑西市に三姉妹の次女として生まれ、間もなくしてO歳の時筑西市にある日蓮正宗のお寺、法高寺で御授戒を受けました。母方は代々の真言宗を、祖母の代で改宗して日蓮正宗の信徒となっていましたが、父の方は、江戸時代から身延日蓮宗の寺の檀家総代を、代々続けてきた家系でした。
 父は母から折伏を受けたとはいえ、邪宗の害毒が強く、素直な信心とは程遠いものでした。この真言宗と身延日蓮宗との夫婦の間に生まれた姉は出産時の医療ミスで「脳性小児麻痺」となり、寝返りをうつことも、食べ物を自分の意思で咀嚼することもできませんでした。
 この様な中で私は誕生、母親が姉の介護に付きっきりの状態でしたので、親元で育つことができず、乳児院にいたこともあったそうです。その後、しばらく母方の祖母の家に預けられ、そこで信心の基礎を教えられました。
 母は娘の病気を治したい一心で、姉をおぶって折伏に回り、その姉は脳性麻痺の病で両手を胸の前で合わせることもできないくらい不自由な体でしたが、それでも必死に手を合わせようとする等、母と一緒に毎日何時間も御本尊様の前に座っていたそうです。
 そうして歩けるようになったのも束の間、姉は九歳で亡くなりました。けれどもその姿は、それはもう見事な 「輝くような美しい姿」 でした。その姿が私の心に強く焼きつき、御本尊様は絶対なんだと、ぶれることなく信心を続けてられた原点となっていきました。
 ところが姉を亡くした事で一家の信心がぐらつき、我が家は三年後に一家離散となり、元々信心が素直でなかった父は行方をくらまし、私は母と妹と一緒に船橋市に移ることになりました。経済的にも精神的にも辛い状況が続き、私は一人で家の御本尊様の前に座る日々が多くなりました。姉が命がけで繋いでくれた信心を守らなければいけない、子ども心にもそんな決意をしたものでした。
 そんな日々の中、法高寺の御住職様の御慈悲で、毎月発行の 「寺報」 を十年間送って頂いた事により、私達姉妹は唯一お寺と繋がることができ、 「寺報」 はまさに命の絆、信心の絆となったものでした。この 「寺報」 は毎月私達のことを見ているのでは…と思う様な内容が多く書かれており、御本尊様の不思議を感じ、いつしか毎月 「寺報」 が届くことが楽しみになっていました。
 祖母は一族の中で一番不憫な思いをしている私達を
「なんとか幸せにしてやりたい」
との思いから、その解決の為に
「お寺に連れて行ってやるしかない」
と強く心に決めたのでしょう。お彼岸やお盆、また年始には必ずお寺に参詣し。
「お塔婆供養」を「御供養」を…と教えて頂きました。
 また祖母は私達に 「しっかり御祈念しなさい」 とよく言っていました。時には一時間以上、一緒に唱題をした事もありました。幸せの意味すら判らない子どもでしたが、いつも御本尊様を見上げて 「幸せになりたいです」 と御祈念していたことを覚えています。
 祖母は私達姉妹が 「お寺に参詣できるように」 と沢山お題目を唱えて下さり、また折伏活動にも日々精進されていました。信心にも躾にも厳しい祖母でしたが、今になってその大きな愛情と、御本尊様に対する絶対の信心を教えてもらい、それによって御本尊様は私達姉妹を守り導いてくださっていたのだと思うと、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
 成人し、主人と出会い、五年間御祈念を続けて折伏し、入信の後結婚しました。主人を折伏しはじめた時は、創価学会と一緒にされてしまい、なかなか理解をしてもらえませんでしたが、毎日御祈念を続け、ついに折伏が叶いました。その御授戒にはもちろん祖母も立ち会ってくれました。最後の決め手になったのは、
「九歳で亡くなった姉の供養のために一緒に信心をしてほしい」
と話したことでした。亡き姉の力が私を助けてくれたと感じました。
 それからは、私の失明の克服(!)、不妊治療の成功、娘の命に関わる様な大病の克服、息子の喉を切るような大怪我からの回復、母のガン克服など私は数え切れないくらいの功徳を頂きました。現在母と妹は鎌谷寺様でお世話になっております。会う度に信心の話ができ、お互い励ましあいながら信心を支えてくれています。
 そんな中で祖母が亡くなりました。学会に洗脳されていた叔父が学会葬をしてしまいました。(!)
 私達の信心を支えてくれ、沢山可愛がってくれた祖母の葬儀がこんな事になってしまうなんて…と本当に申し訳なく、どうにかしなくてはならないと自分の信心を振り返り、私か一族の中で折伏をやらなければ誰がやるんだと奮い立ち、お寺での唱題行、そして婦人部の方々と真剣に折伏に回りました。その功徳と思います。三回忌を前にして、叔父から学会をやめ正宗に入ると連絡があり、法高寺で勧誡を受けニセ本尊も取り替え、正宗の御本尊様を安置し、しっかり供養をしてくれるようになりました。
 又、一族のためにと信心で励んでいた中、行方不明になって二十数年ぶりに父が見つかりました。捜索願を出してから十年が過ぎていました。親としては失格の父でありましたが、孫の顔を見せてやることができました。父との再会から五年、主人が
「絶対にお父さんに勧誡を受けさせてあげなきゃ だめだよ」
と言ってくれました。信心の事に反対していた父親、子供の頃の記憶から
「無理なんじゃないか」
と心がとてもみだれましたが
「私しか勧誡を受けさせてあげる人は父にはいない」
と決心し、清涼寺に連れて行きました。昔と変わらず素直な信心とは程遠い父の態度に泣きそうになりましたが、
 
「今までの身勝手で無責任な親としての人生を悔い改めるためにも素直になってほしい」
と話すと、すんなり承諾してくれました。本堂で御本尊様を前に手を合わせる父は、泣いていました。御本尊様の前の姿が本当の姿なんだと改めて感じました。御本尊様が私に親孝行する機会を与えてくださった事に、感謝の気持ちで胸がつまり、私も涙を流していました。
 三年前に末期の大腸癌を患った父ですが、完治することができ、現在は兵庫県尼崎市大妙寺の預かり信徒となり、元気に暮らしています。
 最近の折伏活動ですが、はじめは私と主人だけで街頭折伏に参加していましたが、子供達も行きたいと言ってきました。 「子供を使って布教している」 などと言われてしまうのではないかと色々考えましたが、子供達の意思を尊重しました。街頭折伏に連れて行くと、何より周りの人達が喜んでくれました。その様子は私が祖母と一緒に活動していた時に、周りの人達が喜んでくれていた様子と重なりました。
 思春期の息子が街頭で声を出すことは、勇気の要ることだと思いますが、私以上に元気に楽しくリーフレットを手渡しています。
 娘は鼓笛隊の練習の合間を縫って、一緒に街頭に立ち、元気に楽しそうにリーフレットを配っています。
 夫は仕事帰りの夜の街頭折伏にも参加しています。暑い日も寒い日も、仕事で疲れていることもあると思いますが、家族の幸せのために頑張ってくれています。
 昨年は街頭折伏で知り合ったガーナの方を、家族で折伏の応援をさせて頂き、少年部の納涼会を通して御授戒をいただく事ができました。そしてまたO戸副講頭さんから街頭折伏で知り合ったガーナの方を紹介して頂き、現在も家族で折伏をしています。主人が英語が得意で、外国の方の折伏を応援させて頂くことが多くなりました。アフリカの方を続けて折伏する機会を頂き、これも御本尊様が私達にくださった御縁だと思っています。
 体験発表のお話しを頂きながら、なかなか折伏成就がかなわない現状に、
「私にも折伏をさせて下さい。私の口を折伏のために使わせて下さい」
と御祈念する毎日が続きました。息子のクラスメイトのお母さんで、以前から親しい友人が、子育てについて悩んでいる事の相談を受けました。
「この親子も私しか折伏する人はいないんだ、なんとか助けてあげたい、幸せになってほしい」
と心から思いました。学校での様子を知る息子も、苦しんでいるクラスメイトをどうしたら助けてあげられるのか?と悩んでいました。
 そこで、私と息子は友人親子が御授戒を頂くことが出来るようにと御祈念をつづけてきました。お寺の折伏リストに名前を挙げて、唱題行にも参加してきました。そして、つい二日前の月曜日の夜に友人親子三人が御授戒を頂く事が出来ました。夕勤行の後清涼寺にお連れし、御住職様にお話しをしていただき、(私からは何も)御住職様に彼女の悩みを解決するお話しを頂き、横で一緒に聞きながら私自身が一番驚いていました。これで彼女たちの問題をきちんと解決していける。そう思うと御授戒の間も胸がいっぱいになりました。早速、昨日から学校や仕事に行く前と帰宅後にうちに寄り、お題目を一緒に唱える事から始めました。 「決めて、祈って、動く」 御住職様はいつもそう御指導くださいます。その通りに実践すること。私は折伏させて下さいと御祈念を続けていたら、きちんと折伏するチャンスを頂けること、そしてその成就は私一人の力ではなく、皆さんに力を合わせて頂く事で成就できたんだということを改めて感じました。私のお題目を清涼寺折伏誓願達成に使って下さいと御祈念していると、何度もお寺でこれから御授戒を受けられる方々に出会いました。御本尊様は私のお題目も周りの皆さんの役に立つんだという事を見せて下さっていると思いました。お寺で御授戒に立ち会わせて頂くと、本当に嬉しくていつも涙が出そうになります。そして次は私の身近な人を折伏成就したいと思っていました。私が折伏に行ってくると言うと、家族が御本尊様にいつも御祈念の唱題をしてくれていました。
 一族の中で一番不幸であった私が、家族そろって毎日 「朝夕の勤行」 ができ、家族で折伏活動ができ、昔、一人で唱えていた御題目が、今では沢山の講員さん達と唱えさせて頂き、又御住職様をはじめ、御尊師方に恵まれ信心ができるようになりました。 「幸せになりたいです」 と御祈念していた私が、今では一族の中で一番幸せになっていました。
 私の人生、全て御本尊様のおかげです。
 今までの私の信心は、御本尊様にお願いばかりしてきました。でも今日、この様な発表の機会を頂き、私は大勢の皆様方のおかげで信心を続けてくることができたことを、改めて感じました。これからはしっかりと、御本尊様とお寺をお護りし、信心を次の世代につなげていけるように、一日一日を大切にしていきたいと思います。今、私達夫婦は少年部のサポートをさせて頂いております。御住職様は拙い信心の私達夫婦を信じて下さり、将来の法華講に大事な少年部の育成を任せて下さっています。
 そのお気持ちに応えるためにも、また祖母が私達姉妹の幸せのために、一回でも多くお寺に連れて行ってくれたように、少年部の担当の方々と精一杯頑張っていきたいと思います。平成三十三年宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の御命題に向けて、菅原御住職様の御指導のもと、より一層信行学に励んでまいります。
 御静聴ありがとうございました。
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千葉布教区推進会報93号 (H27.05) より
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