!!!大白法H160216 !!正信会、顕正会で苦しみ、ようやく正法に巡り合えた / 母と歩んだ信行の道  私は小さい頃、いつも父に厳しく叱られていました。厳しすぎる父から母が私を守り、父と母は私のことで喧嘩が絶えませんでした。私は小学校でいじめられるようになり、いつしか死にたいと思うようになりました。中学校へ入学すると、周囲の人たちに対する憎しみもあって喧嘩三昧の日々、その頃からシンナー遊びを覚えて、やりたい放題の学生生活でした。  そんな中、生活のために夜も働いていた母は、私のことを思つて毎日お弁当を作ってくれていました。母の気持ちはお弁当を通じて判っていたけれども、自分自身を止めることができませんでした。  中学二年のとき、[[顕正会]]の話を聞いた母と私は、日蓮正宗から破門された間違った団体とは知らずに入会しました。一ヵ月ぐらいたった頃、女子部の人から「折伏しよう」と言われ、シンナーを吸っていた友達を何十人か入会させました。しかし間違った宗教に入ってよくなるはずがありません。日がたつに連れ家族はバラバラになり、私は中学卒業を機に家を出ました。顕正会の活動をやればやるほど自分を見失い、ますます自身を止められなくなっていきました。  十六歳で結婚、十七歳で長男を出産しました。人の親になったのだから心を入れ替えてやっていこうと、精一杯がんばりましたが、すぐに離婚してしまいました。私は、子供を親に預けて夜の仕事に行くようになり。また喧嘩三昧でシンナーを止められない日々に戻っていました。  私が実家に帰ってきたことを知った顕正会の女子部員が、頻繁に私を誘いに来ましたが、母と私は断り続けました。ただ遥拝勤行だけは続けていました。  そんなある日、母が[[正信会]]に行っていることを知りました。私は何も考えず、正信会が間違っているとも知らずに入会しました。  そんな中。今の夫と一緒に生活を始めるようになりました。彼は、昔からの友達で私の過去も知っていましたので、私に子供がいても幸せにしてくれるだろうと思っていましたが、楽しい日々は長くは続きませんでした。私が仕事で少しでも帰宅が遅くなると必要以上に心配して小言を言う夫に気を使う余り、自律神経失調症となって六十二キロあった体重は四十五キロまで激減しました。それでも私さえ我慢すればいいんだからと思って耐えていました。夫との間に子供が生まれたので、いつかはよくなると思っていましたが、かえって日毎に二人の間はギクシャクしていきました。悪くなるばかりでしたので、正信会の会合に行くのを止めて家で勤行だけしていました。 !!!求め続けた正法  私は幸せになることができないのだろうか。今まで人を傷つけてきた分、苦しまなければならないのだろうかと思い、いつも心は沈んでいました。そんな中、長男に病気があることが判り、そのことも心に重くのしかかり、辛くて仕方がありませんでした。母から 「親となり子となるのも過去世の宿業だから」 と聞かされて。自分が本当に嫌になりましたが、長男の寝顔を見ていて、この子ががんばっているのに私は逃げてばかりいると気がつきました。  ある日のこと、仕事を終えて帰宅すると、法華講の人たちが折伏に来てくださっていました。母が私に 「やっと本当の信心に縁ができそう。一緒にお寺に行こう」 と言ったので、早速延寿寺に行き、御住職・川口盟道御尊師のお話をお聞きしました。このとき私は、本当に安心できました。そして平成十三年八月五日、御授戒をお受けすることができました。今でもはっきりと覚えていますが、体が吸い込まれるような気がすると共に熱くなり、 「よし、がんばろう」 と、初めて心の底から決心できました。  それからは、毎日のようにお寺に通い、勤行・唱題に一生懸命がんばりました。すると長男の様子か少しずつ落ち着いて、また、怖かった父が私に優しく接してくれるようになり、孫である私の子供たちを可愛がってくれるようになりました。夫の態度も日毎に変わり、悩んでいたことがすべて、目に見えてよい方向に変わっていくことに、母と共にたいへん驚きました。  その後、母は私の夫を折伏して、御住職のお話を長男と一緒にお聞きした夫は、平成十三年八月十四日に御授戒をお受けすることができました。家族そろって毎日お寺に参詣して勤行・唱題させていただき、お寺から帰るときは、いつも清々しく、ウキウキした気持ちになりました。遠回りはしたけれど、正法を正しく持つ法華講に入れて、本当によかったと思っています。  平成十三年の支部総登山会に、地区長さんから 「家族そろって本門戒壇の大御本尊様に[[お目通り|御目通り]]を戴きに行こう。そこからまた変わってくるよ」 と誘われ、すぐに登山する決心をしました。 !!初信の功徳  脳の影が消えた  登山の二週間前のこと、ふと頭の中の違和感に気づき、病院で検査を受けました。脳に影が二つ見えると言われ、一ヵ月後に手術をすることになりました。その日の夜、御住職に御指導をいただき、 「御本尊様にすべてお任せして唱題行をがんばり、登山をさせてもらいなさい」 と登山の大事さ等、たくさんの御指導をいただきました。それからは必死の思いで毎日お寺に通い、唱題行に励みました。  そして登山当日、体調が優れず嘔吐しながらも、家族の手を借りて、無事に登山できました。総本山から帰ってすぐに再検査したところ、何と影が二つともなくなっていました。病院の先生も驚いていました。私は。登山させていただいて本当によかったと思いました。  そして、宗旨建立七百五十年・平成十四年の一月、我が家に御本尊様を御[[入仏]]することができました。  それから二週間ぐらいたった頃、私の職場に病院から電話があり、夫が橋の上での作業中に、ビルの三階ぐらいの高さから転落し、病院に運ばれたとのことでした。一つ間違えてテトラポットの上に落ちていたら体がバラバラになるところでしたが、御本尊様に守られ、テトラポッドの隙間の砂地に落ち、一命を取り留めました。その日すぐに集中治療室に運ばれ、二週間はそこで安静と言われました。  その夜、私は両親と一緒にお寺に行き、御住職に御指導をいただき、それから毎日お寺に参詣して御本尊様に御祈念し、さらに病院で夫に付き添いながら御題目を唱えました。支部の皆様方が一緒に御祈念してくださったおかげて回復が驚くほど早く、二週間で退院できました。治療費や給料面など金銭的にもたいへん守られ、本当に有り難かったです。 !!片時も御指導を忘れない  皆を励まし共によくなる  私が母に 「御本尊様にお礼がしたい。何をすればいいの」 と聞くと、 「折伏をさせていただきなさい」 と言われ、「よしっ」と腹を決めて夫の妹を折伏し、御授戒をお受けできました。  また、今年三月に入信した同僚のK野さんとY崎さんも、お寺に参詣してがんばっています。二人とも純粋な気持ちで御祈念しているので、いろいろなことで守られています。ある日、二人から 「お山って何?」 と聞かれ、私は地区長さんに教わったことを話ました。するとすぐに  『私たちも行きたい』 と言うので、 「五月二十三日に夏期講習会登山があるよ。一泊やけど行く?」 と聞くと「うん、行く」と、すぐ参加が決まりました。  その日からは、家族とK野さん、Y崎さんが、一人も欠けることなく登山できるよう、勤行のときに一日も欠かさず御祈念しました。そして無事にみんなで一緒に登山させていただけました。総本山から帰ってきた二人が 「行ってよかった。すごかったね」 と言ってくれたとき、折伏させていただいて本当によかったと思いました。  母から 「これからは、障魔(しょうま)の用(はたら)きが出て信心させまいと、いろいろなことが起きてくるけれど、今まで御住職に御指導いただいたことを片時も忘れず。がんばりよ」 と言われました。その後、母の言った通り次々と、信心を試されるかのように、職場や周りの人だちからいろいろなことを言われました。時には全くありもしないことまで言われ心が引き裂かれる思いでしたが、御住職の御指導を思い出し、「すべては自身の宿業」と自分に言い聞かせ、時間の許す限りお寺の御本尊様の前で母と共に泣きながら唱題しました。そんな日々が半年ぐらい続きましたが、気がつくと、私の周りが目に見えて変わっていきました。  その頃、引っ越さなければならなくなって家を探していたところ、望み通りの物件が見つかりました。また十年間悩み続けた多額の借金の問題も、入信して二年余りで解決の目処か立ちました。その後、日曜日が休みで仏道修行しやすい好条件の仕事が決まり、本当に有り難く思いました。  御法主上人猊下の 「一切を開く鍵は唱題行にある」 との御指南を[[身に体し|身に体す]]、御本尊様に真剣な御祈念をするところに必ず道が開くことを、確信させていただきました。これからは、今まで以上に多くの人たちに「祈りとして叶わざることなし」の御本尊様を教えてあげたいと思います。そして、入信した人たちが一人も欠けることなく御登山できて、その大事さをつかめるよう、体験を通して話していきたいと思います。  これからもお寺にもっと足を運び、勤行・唱題、折伏をがんばり、行事にも欠かさず参加させていただき、六年後の「平成二十一年・『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に向かい、大きく力強く前進してまいります。 ---- {{category 体験,どん底}}