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地神とお釈迦様の話の変更点

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余り知られていませんが、3.11東日本大震災の直後の3月15日夜半、富士宮でも大きな地震がありました。

静岡県東部地震(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E6%9D%B1%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87 )

と名前がつけられているそうですが、震度6強ながら幸い死者は出ませんでした。

犠牲者が出ないと、「〜震災」という名前にはならないそうで、その後の防災訓練で消防署のエラい人がそう言っていました。

地震は防げないけど、震災は防げるのだ、と。


日蓮大聖人は「不孝の者をば日月も光ををしみ、地神も瞋りをなすと見へて候」と仰せられて、こんなお話を紹介されています。

あるお経に書いてある事なんですが、

大勢の弟子信徒はおろか、諸々の神様や人ならざる様々な者達がお釈迦様を囲んで集まっていたとき、お釈迦様が一人一人の身の上を尋ねていました。

地神と話したとき、仏様が、

「おまえさんは地を支えているのけど、大地よりも重い物はあるかね?」

と尋ねました。地神が敬ってお答えするには

「はい、実は大地よりも重い物があるのです」

「それはまたおかしな事だな、この世の一切は大地の上に立っている、世界一高い須弥山だって、大海だって、地の上にあるというのに、その大地を担いでいるお前さんにして、大地よりも重い物があるというのはどういう事や」

「お釈迦様は人が悪い。十分分かっていながら、他の人に分からせようとしてこういう質問をなさるんですね。ようござんす。それならお答えしましょう。私が先代の地神からお役目を受け継いでから二十九劫になりますがね、その間この世の一切の物を載せた大地を支えてきました。首も腰も痛いなんてことはこれっぽっちもありません。余裕です。大地を持ったまま走り回ることだって出来ますよ。

でもね、親不孝の奴が居るところはどうにも重いんですよ。首が痛く、腰に来ますよ。膝はガクガクしますし、足も動かせません、もうね、目がクラクラしてぶっ倒れそうですよ。こんな不孝者のいる所はうち捨ててしまいたくなる衝動にいつも駆られていますよ。まぁそういうことで不孝者がいる所はいつも地震が起こっちゃって居るような次第なんですよ。だからね、お釈迦様の従兄弟の、提婆ナンチャラという人が居たでしょ、あの人は王族出身の御出家だったけど、まー不孝者でしたよ。私ゃもう辛抱堪らんと思って手を外したものだから、大地が裂けて無間地獄に落ちて行っちまいましたよ。すみませんね。力及ばずで」

というように地神は民衆の面前でこまごまとお釈迦様にお話を致しますと、お釈迦様も「そうだそうだ、うんうん」とうなずかれました。そして遠くを見つめて、「しかしなんだな、私が死んだあとに生まれてくる人々は、提婆達多よりよっぽど不孝な者達ばかりなんだよな」と嘆かれました

       ([刑部左衛門尉女房御返事1503|http://honshubou.main.jp/gazo_/sp7/sp71503.gif])




ここで言う不孝者、というのは本来感謝すべき相手に感謝の念を抱かない者、といい変える事が出来るでしょう。大恩は報ぜず、と言いますが、大きすぎる恩は大きすぎるが故に凡人は中々自覚できないのです。

いつも呼吸している酸素が海中の膨大な植物プランクトンが生成してくれている事に感謝する人はあまり居ないでしょう。地球が秒速472mで自転しているのが、アタリマエだと思っている、店に行けばいつでも食料が手に入り、蛇口をひねれば水が出る、コックを回せばガスが出る、アタリマエだと思ってる。

でもそうじゃないんです。誰かのおかげで、その恩恵に与っているのです。豚や牛、魚やお米だって、「もっと自由に生きたかった」と思っていたかも知れません。そこに「感謝」がなければ、人間の人間たるゆえんは無くなってしまうのであります。


さて、大恩の中でも最も大きな恩は仏恩です。


御本仏・日蓮大聖人が説き顕された南無妙法蓮華経の御悟りは、この世の一切全てに通じている、遍満しているのです。この世の真理そのものなのです。
いわば南無妙法蓮華経は全ての存在個々の最も良好な状態だと言えましょう。
与太者も100%悪人というわけではありません。必ず心の中に良心や慈悲心があるのです。
どんな悪人であったとしても、この南無妙法蓮華経を信じて南無妙法蓮華経に近づこうとすれば自然と、自分自身が最善の状態≒南無妙法蓮華経となります。それはもはや悪人などではありません。
ですから、南無妙法蓮華経に適う生活を送れば、誰もが諸事円満に過ごす事が出来るのです。何故なら、この世の一切に通じているのですから、自分が南無妙法蓮華経になれば、自分に縁ある全ての人々も少しずつ南無妙法蓮華経に染まっていくのです。
世間でも自分が変われば周りを変えられる、という意味の格言がありますが、大事なのは何に変わるか、です。
御本仏日蓮大聖人の南無妙法蓮華経に触れて、仏へと変わって行く、これが最高の幸せをもたらすのです。
昨今は自由主義といって、自分で何でも判断して、好きなものを選ぶのが良いのだ、という風潮ですが、そうして事にぶち当たるたびに変節していったら、堂々とした人生は歩めないのではないでしょうか。
「学び」とか「気づき」という語をよく耳にしますが、色んな所のいいとこ取り、ツギハギの人生観というのは如何なものでしょうか。

耳を傾けるというのは一分、その主義を信ずる姿に他ならりません。
先日ラジオで、新学期、新入生とその保護者はカルト教の勧誘に気をつけろと大学が警告を発している、とやっていました。当たり障りのない道徳的な言葉や一般的な会合を装って、カルトの道に引きずり込もうとする、とのことです。
聞き心地の良い美辞麗句に賛同して踏み入った先が、オウム真理教や暴力革命を否定しない政党だったら、やはり人生を遠回りする事になると思います。

ですから、仏様である日蓮大聖人の教え、信心を心の軸にして、諸事、対処していくことが大事なのであります。それによって、揺るぎない人生を送る事が出来るのであります。
ちょっと踏み込んだ内容になりましたが、大事なことなので、敢えてお知らせいたしました。
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LINEのタイムラインに投稿 R03,5. 1 12:44
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