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冬からこうして今、春への変更点

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!冬からこうして今、春へ
法恵寺支部
 M藤T花
  (福岡西地方部総会より)
 私は日蓮正宗に入信させていただき、今年の六月で十年目を迎えます。
 入信する三年前の平成十七年二月に、大切な主人を亡くしました。突然の不幸に自分の身の回りのことすらできなくなり、体重も三十数キロにまで落ちてしまいました。家族や友人に支えられながら仕事に復帰したものの、その後、引きこもり状態になりました。
 さらに、亡くなった夫の供養を浄土真宗でしていても不安が募って、いろいろな宗派の方の話を真剣に聞いて回りました。けれども、どの話にも疑問ばかり出てきて、心が落ち着きませんでした。
 そんなとき、仕事で東京行きの話をいただき、こんな状態では自信がないと思いながらも、東京の大学で救急救命士をめざしてがんばっている息子に会えるという思いもあり、こんなときだからこそと自分を奮い立たせて上京しました。

!!  正しい教えと確信 入信して蘇生
 平成二十年、東京の友人宅で、初めて日蓮正宗のご信徒と出会いました。真剣に信心のことを教えてくださり、その後も何度か話を伺って、話の内容やその方の信心姿勢に、日蓮正宗だったら正しく夫の供養をできると確信し、謗法を払って六月に御授戒を受けました。
 七月には息子が入信し、九月には母と弟が入信。晴れて一家全員が日蓮正宗の信徒となりました。
 その年の十月、九州に帰って、信心に励もうとすればするほど体力、気力が落ち、勤行・唱題ができなくなりました。このままではダメになると思い、平成21年・『立正安国論』正義顕揚七五〇年のスタートである元日から信心をやり直そうと、法恵寺に参詣しました。
 昔からの知人で、当時、支部の婦人部長だったS田さんと再会できたことがお寺に足繁く通うきっかけとなり、御本尊様を求める気持ちがより強くなりました。
 三月、御住職・秋山堅栄御尊師とS田さんから、第一回支部総登山にお誘いいただき、参加しました。
 登山参詣の有り難さ
 総本山大石寺に到着し、厳粛な雰囲気に緊張しながらも御開扉・丑寅勤行をはじめ、一つひとつの行事が楽しくて仕方なく、生きている喜びを感じることができました。私かずっと求めていたのは、この日蓮正宗だったのだと再確認でき、総本山に参詣することの大事さを知り、お誘いいただいたことに深く感謝いたしました。
 四月一日から、百日間・二時間唱題行が始まり、私も挑戦しました。毎日、午後一時からと午後七時からのお寺の唱題行に、片道三十五分歩いて参詣しました。
 御住職様の御導師で同志の方々と一緒に唱題に励み、五月の第二回支部総登山に参加したときのことです。
 御開扉が終わって奉安堂から退出し、携帯電話の電源を入れた直後、名古屋の伯父から電話がかかってきました。
 私が信心で蘇生できたことを母より聞いていた伯父から、
  「そんなに元気になれるなら、自分も入信したい」
と言われました。
 突然のことで驚きましたが、下山後、すぐに名古屋に向かいました。御住職様の御指導のもと、伯父は玉泉寺で無事に御授戒を受けることができました。
 ここから、さらに私の生活は変化していきました。
 私は主人を亡くしたショックから、車の運転ができなくなっておりました。あるとき、御住職様の
 
  「できない自分からできる自分へ。自分の壁は自分で打ち破らなければ試練は乗り越えられない」
との御指導が心に響きました。
  「困っている方の所へすぐに駆けつけられるよう、もう一度、運転出来るようにならせて下さい」
と御祈念しながら唱題に励んでいると、少しずつ気持ちが前向きになってまいりました。

!!   運転が再びできた
 思い切って車を購入し、十二月一日、約五年ぶりにハンドルを握りました。少しの恐怖感もなく、自然に運転ができた感動は、今でも忘れられません。いつでも会いたい人に会い、お寺へお連れできるようになりました。これも、御本尊様が折伏の後押しをしてくださっているのだと感じ、さらに折伏への気持ちが強くなりました。
 また、運転ができるようになったお陰で、平成二十二年より起業者育成の学校へ通うことができ、これが次のステップへと繋がりました。
 福岡県の職員をしている知人より、
  「国の取り組みによる福岡県の事業で社会復帰支援のカウンセラーを募集中だから、ぜひ面接を受けて」
とお誘いを受けました。はじめは躊躇しましたが、熱心に誘って頂いたので、これも御本尊様のお導きと思って面接を受けた所、採用と成りました、
 そんな中、友だちから突然、
  「助けて。千花ちゃんなら私を助けられるよね」
と約二十年ぶりに電話がありました。彼女は創価学会員の家に嫁いで精神を患い、離婚の後、実家に帰されたそうです。片道四時間かけて会いに行きました。
 その後も、昼夜を問わずメールや電話で助けを求めてくる彼女に会いに行き、行けないときは電話で折伏を続けております。
 また、知人のK牧さんから、六年前に奥様を亡くされ三人の子育てのことで悩んでいると、相談を受けました。信心のお話をすると、
  「妻の供養も子供のことも、思った通りにするから構わないで欲しい」
と激しく拒絶されました。それからは、連絡が来ても、信心の話題になると同じことの繰り返しで、私の唱題が足りないのだと反省し、ご家族が入信され悩みが解決することを祈りました。
 その祈りが通じたか、そして平成二十八年七月、K牧さんは御授戒を受けて支部総登山に参加され、お子さんたちもお寺に参詣するようになり、今月三日、転居に併せてお仏壇を購入し、御本尊様をお迎えして入仏式を御住職様に執り行っていただくことができました。

!!  仕事で成果認められ 折伏実践の功徳確信
 この間、昨年三月に私も試験に合格してカウンセラーの資格を取得できました。それまでの勤務を退職し、
  「これから求職活動をします」
と同僚に伝えたその夜、その方から
  「福岡市の事業で一人、欠員があるらしい」
と電話をいただけました。以前、そこで働きたいと思いながらも一度は諦めた所でした。教えられたままに翌日面接を受け、二日後に採用の連絡をいただきました。
 四月末より出勤してみると、同僚の方は皆、出身大学や経歴、資格が立派で、私か一緒にいることが不思議でした。
 そして、さらに不思議なことが起こりました。
 十月に、私かカウンセリングを担当してきた方々の中から社会復帰へと踏み出された方の人数が、平均の五倍とのことで、その結果に驚いた本部から私の上司が、
  「こんな結果が出るには、何かが違うはず。秘訣があるなら他のカウンセラーにも教えて欲しい」
と何度も何度も質問されたそうです。
 昨年四月から十二月までの九ヵ月間に社会復帰できた人数が、カウンセラー四十人中の三番目の成果だったことも、上司は教えてくださいました。私には敷居が高いと思っていた所でこのような結果が出たことに、折伏の実践によって御本尊様より無量の功徳を賜っていると、感謝の気持ちでいっぱいです。

!!  折伏の功徳は息子の 仕事、結婚にも
 一人息子は、主人を亡くしたとき高校生でした。主人の死をきっかけに大切な命に関わる仕事へと進路を変更し、大学卒業と同時に救急救命士の試験に合格し、九州に帰ってきました。すぐに消防士の試験に挑戦しましたが、結果は最終試験で不合格でした。
 救急救命士の仕事に就くには消防官になる必要がありますので途方に暮れていたところ、御住職様より御指導と励ましをいただき、毎日、息子とお寺に通い唱題に励みました。その結果、久留米消防署への就職が叶うという功徳を戴き、平成二十四年四月より念願の救急救命士としてがんばっております。
 また、息子の幸せを願い、一緒に信心ができるお嬢さんと巡り合えることを御祈念しておりましたところ、平成二十五年、願い通りのお嫁さんが来てくれました。一緒に毎月お寺に参詣し、登山もしています。
 気が利いてかわいらしく、私にも私の母にも優しくしてくれ、平成二十六年にはかわいい孫を産んでくれました。息子を父親に、私をばあばにしてくれ、孫と一緒に勤行できる喜びをくれました。こんな幸せな日が来るなんて、想像もできませんでした。

!!  あと三年の御命題へ 信心の輪をさらに
 最初は一人だった登山が、今は家族みんなでできます。我が家を絶望の底から救ってくださったこの信心は、本当にすごいと思います。
  「冬は必ず春となる」(御書 八三二頁)
 初めて登山したときに同志の方から教えていただいた大聖人様の御言葉を胸に刻み、あと三年となった御命題の達成に向かって、これからも信心に励んでまいります。
大白法H30.04.16号より
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