日顕上人お言葉(大白法三一四・平成元年二月一日号)   この妙法ということの信心に徹底していない方は一足す一は二、三足す三は六という考え方によりますので、結局、信心をすることによって家業のほうが疎かになる、家業をしっかりやるためには、信心をしっかりやれと言われても、なかなかそういうことは無理だと、こういう考えの人が非常に多いのであります。  まだ信心をして日の浅い方のなかにはそういう考えを持っている人があります。もちろん講頭さん方はその点は既にこなしておると思いますけれども、しかし、なかには、まだ結成されて間もない支部、あるいは古くからあった檀家の方々によって結成された支部などにおいて、まだそういうことのはっきりした自覚が足りない意味もあるかと思います。  ところが、実際はそうでなく、縁あって大御本尊に結縁申し上げた方々、南無妙法蓮華経と唱えていく方は、その一日の与えられた時間のなかに、題目を中心に妙法の功徳を得て生活をするときに、信心の意味、それから信心の上からの色々な行わなければならないこと、考えなければならないこと、また世法の上からの、職業等のなかにおいて行うべきこと、これはすべて一体のものなのです。  その世法と仏法とは別々のものと、すぐ考えてしまっておりますが、 「深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」(全集八四頁) という御書の御金言もございます。  したがって、世法と仏法とはけっして別のものではありません。  正しい信心をするところに、世法も必ず、今以上に開けていくのであります。その開けていく世法の姿のなかから、皆様方がまた振り返って、この信心の功徳をもって自ら荘厳していく、他の人をも導いていくという姿が必ず顕れてくると思うのであります。  ですから「信心即生活」という言葉を如実に、講頭さん自らがはっきりと体験をしていただいていくならば、講中の人々がその姿を見て、確信を持って信心修行に邁進すると同時に、世法の上においても立派に、社会人として、また、それぞれの職業を隆盛に導いていくことができると思うのでございます。 (大白法三一四・平成元年二月一日号) {{category 御指南}}