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伯牙と鐘子期の変更点

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!!!伯牙と鐘子期 

 列子という書にこんな話がある。
 伯牙が琴を弾くのを、鐘子期はよく聴いていた。伯牙が高山を思い描いて琴をひけば鐘子期は、いいねぇ、峨々たる泰山のようだと評し、流水を思い描いて奏でれば、鐘子期は、洋々として江河のようだ、と評した。伯牙の念ずる所、鐘子期は必ずこれを感じ取った。
呂氏春秋という書には、鐘子期が死ぬと伯牙は琴を壊し、絃を切ってしまった。そして終生琴を奏でる事はなかった。それはきっと、奏でても聞かせるに足る者が居なかったからだろう。と記している。
 日寛上人は薬王品の、

「若人有病。得聞是経。病即消滅。不老不死」

(もし人に病有るに。この経を聞く事を得れば、病は即ち消滅し、不老不死となる)

の、「得聞是経」ということについて、これは単に聞くという事ではなく、法華経の意を弁えることなのだ、法華経の意も時代により変わり、像法時は「広・略」、末法は「要」、即ち日蓮大聖人の弘められる南無妙法蓮華経の御本尊に対する信心でなければ「得聞是経」にはならないという趣旨のお話にこの譬えを引かれています。

 即ち、
  「もしまた像末の良薬をわきまえずんば、子期の死後、曲中の意を聞く者 無きが如くならん」
          (薬王品病即消滅談義・歴全四―四四七)
と。もし像法と末法で法華経の捉え方が違う事を弁えないならば、守文の徒となって、法華経も法華経としての功徳を生じない
  「此の法華経は知らずして習ひ談ずる物は但爾前経の利益なり」                    (一代聖教大意・九八)
とはこのことでしょう。
 今まさにコロナ禍の中、薬王品の、「病即消滅。不老不死」の妙薬は、この信心であります。
信心に励む以外に根本的解決方法はないんだ、と肝に銘じて、日々の勤行唱題、そして折伏に精進して参りましょう。

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列子云く伯牙善く琴を鼓く。鐘子期、善く聴く。伯牙琴を鼓くに志高山に在れば子期云く、善哉。峨々として泰山の若し。志流水に在れば子期云く善哉。洋々乎として江河の若いし。伯牙の念ずる所、子期必ず之を得る 呂氏春秋に曰く、鐘子期死す。伯牙琴を破り絃を絶つ。身の終わるまで復琴を鼓たず。以為為に鼓くに足る者無しと。
若し亦像末の良薬を弁えずんば、子期の死後曲中の意を聞く者無きが如くならん。
(薬王品病即消滅談義・歴全4―447)

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