!!!毘摩大国の狐(びま大国の狐) これは聖愚問答抄に引用されているお話です。 昔々、インドの毘摩(びま)大国という国に、腹ぺこで死にそうなライオンが居ました。 もしも今日、獲物にありつけないと、俺は死んでしまう。獲物を見つけたら絶対に仕留めなければ! ライオンは必死でした。 そこに狐が現れました。狐はライオンに気がつくと、死にものぐるいで逃げ回りました しかし相手は百獣の王・ライオン。力もスピードもかなうはずはありません。 やがて狐はライオンに追いつかれ、まさにツメ先で捕らえられそうになったとき――、 狐はちょうどそこにあった古い井戸に落ちて、運良くライオンのツメ先から逃れることが出来ました 狐は井戸の底から、 「やーいやーい間抜けな腹ぺこライオン、ここまで降りて来れるもんなら降りてきてみーろ!!お前なんかに食われてやるもんか!」 とあっかんべーをしました。 ライオンは井戸の周りをウロウロしならがしばらく考えていましたが、やがて諦めて、どこかへ行ってしまいました。 狐はライオンの気配がなくなって、どうやら逃げおおせた、と胸をなで下ろしました。 そして改めて自分の落ちた井戸の底の周囲を調べてみると、どこにも足場がない。 これではよじ登ることが出来ない。 自分が絶望的状況に陥ったことを悟った狐は色々なことを考えました。 きっとこのまま井戸から外に出れないでは、食べ物もなく、自分はのたれ死んでしまうだろう。 折角ライオンから逃げおおせたというのに、これでは何にもならない。 あのライオン、必死だったなー。もう腹ぺこで死にそう、って顔をしていたよ。 こんな誰も知らない暗い井戸の底で、俺の死って一体何の意味があるんだろう。 こんなことならいっそのことあの腹ぺこライオンに食われてやれば良かった。 あいつだって群れに帰れば腹を空かせた子供が居たかも知れない あいつに食われていれば、少なくとも俺の死は無駄にはならなかったはずだ。 おかしな話だよな、ついさっきまではライオンに食われまい、生きたい、と願っていたのに、 今はこんな気持ちになっているなんて。 そして狐はこんな事をつぶやきました。 「ある人は生きたいと願い、死にたくないと願うが、  ある人は死にたいと願い、生きていたくないと願う」 誰も知らない、古い枯れ井戸。暗いその井戸の底での狐のつぶやき。 誰一人として気がつかないはずのその声に、気がついた人がいました。 それは天上世界にいる帝釈天です。 帝釈天は、このつぶやきを聞き、 「この狐、なにやら尊い悟りを得たに違いない」 と思って、 井戸のへりまで行って狐に言いました。「おい狐! お前は何をそこで悟った?言ってみろ」 すると狐は言いました。 「かりそめにも、人に物を尋ねるなら弟子の礼を取るのが礼儀だろう。 そのような高いところから師匠を見下して言ってみろとは何事だ」 帝釈天はもっともなことだと思い、狐を井戸から出して、下座に座り、改めて教えを請いました。 すると狐は、 「有人楽生悪死有人楽死悪生」 と悟った内容を説いた、のでした。 ---- (真偽未決 身延山御書 新定二三〇九) 昔毘摩大国と云ふ国に狐あり。師子に追はれて逃げけるが、水もなき渇井に落ち入りぬ。師子は井を飛び越えて行きぬ。彼の狐井より上らんとすれども深き井なれば上る事を得ざりき。すでに日数を経る程に飢え死なんとす。其の時狐、文を唱えて云わく、禍いなるかな。今日苦に逼められて便ち當に命を丘井に没すべし。一切の万物皆無常なり。恨むらくは身を以て師子に飼はざることを。南無帰命十方仏。我が心の浄くして已むこと無きを表知したまへ文。文の心は、禍ひなるかな。今日苦しみにせめられて即ち当に命を渇井に没すべし。一切の万物は皆是無常也。恨むらくは身を師子に飼はざりける事を。南無帰命十方仏、我心の浄きことを表知し給へと喚りき。爾の時に天の帝釈 狐の文を唱ふる事を聞き給ひて、自ら下界に下り、井の中の 狐を取り上げ給ひて、法を説き給へと宣べ給ひければ、狐の云く、逆なる哉、弟子は上に師は下に居たる事をと云ひければ、諸天笑ひ給へり。帝釈誠にことわりと思し食して、下に居給ひて法を説き給へとの給ひければ、又狐の云く、逆なる哉、師も弟子も同座なる事をと云ひければ、帝釈諸天の上の御衣をぬぎて重ねて高座として、登せて法を説かしむ。狐説いて云く、人有り生を楽ひ死を悪む。人有り死を楽ひ生を悪むと云々。文の心は、人有って生くる事を楽って死せんことをにくみ、又人有って死せんことを願ひて生ん事をにくむと。此の文を狐に値ふて帝釈習い給ひて狐を師として敬はせ給ひけり。 ---- 只経文を先とすべし。身の賤きをもて其の法を軽んずる事なかれ。有人楽生悪死有人楽死悪生の十二字を唱へし毘摩大国の狐は帝釈の師と崇められ、諸行無常等の十六字を談ぜし鬼神は雪山童子に貴まる。是必ず狐と鬼神との貴きに非ず、只法を重んずる故なり。(聖愚問答抄389) ---- 寿量演説抄(歴全4−156)にもあり。 弘決(止会中141)にもありこの方がさらに含蓄あり往見 {{category 説話,び}} ---- 天帝拝畜為師とは、未曾有経上巻に、仏言く、過去無数劫の時を憶念するに、毘摩大国の徙陀山の中に一の野干有り。而して師子の為に逐われて食われんと欲す。奔走して井に堕ちて、出ずること得ること能わず。三日を経て、心を開いて死を分とし、而も偈を説いて言く、禍なるかな、今日、苦に逼らる。便ち当に命を丘井に没すべし。一切万物は皆無常なり。恨むらくは、身を以て師子に飴〈か〉わざることを。南無帰命十方仏、我が心は浄にして己無きことを表知したまえ。時に天帝釈、仏名を聞き、粛然として毛竪ち、古仏を念ず。自ら惟みるに、孤露にして導師無く、五欲に耽著して自ら沈没す。即ち諸天八万の衆と、飛び下って井に詣で問詰せんと欲す。乃ち野干の井底に在るを見て、両手をもって土を攀ずれども出ずることを得ず。天帝復自ら思念して言く、聖人は念に応じて無方の術あり。我今野干の形を見ると雖も、斯れ必ず菩薩にして凡器に非ず。仁者の向の説は凡言に非ず。願わくは、諸天の為に法要を説け。是に於て野干仰いで答えて曰く、汝天帝と為って教訓無し。法師は下に居し、自ら上に処す。都て敬を修せずして法要を問う。法水清浄にして能く人を済う。云何ぞ得んと欲して自ら貢高する。天帝、是れを聞いて大いに慙愧し、給侍の諸天は愕然として笑う。天王、趾を降して大いに利無し。天帝、即時に諸天に告ぐ、慎んで此れを以て驚怖を懐くこと勿れ。是れ我が頑蔽にして徳の称わざるなり。必ず当に是れに因って法要を聞くべしと。即ち為に天の宝衣を垂下し、野干を接取して上に出す。諸天は為に甘露の食を設く。野干は食を得て、生活の望、意に非ずして禍の中に斯の福を致す。心に踊躍を懐いて慶ぶこと無量なり。時に於て野干、自ら念言す、我宿命を得て過去を知る云云。諸天をして座を敷かしむ云云。天帝説く、井厄を免るることを得云云。野干広く説く、人の生を楽い死を悪む有り、人の死を楽い生を悪む有り云云。天帝問う、命を済うは功徳無し。法を施すに何の功徳有る。野干広く法を施すの功徳を説く云云。乃ち云く、過去に王有り、阿逸多と名づく。初め十善を持ち、後に辺国の女を進らして宝を贈るが為に、因って即ち奢侈して地獄に堕す。獄を出でて鬼に堕す。鬼より復宿命の十善を念じて、鬼より畜に堕して野干の身と為る。我堕して死を分とし、天に生ずることを得んと冀う。汝に由るを以ての故に、我が本願に違う。是の故に説いて言く、命を済う功は少なりと。天帝難じて言く、世尊の説く所、善人は死を求むということ、是の事然らず。若し死を求めんと欲せば、何が故ぞ衣に入る。答えて言く、三意有るが故に。一には天帝の意に順ず、二には諸天は法を聞くことを得んが為なり、三には通化して法を宣伝するが為なり。復天帝の為に広く法門を説く云云。