〓昨日の素読〓 月曜正午から御書を素読しています。昨日は観心本尊抄の650〜651頁あたりを読みました。 honshubou.main.jp/gazo_/gosho.php?bunken=sp&page=651 そこに !!「若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」 との章安大師の引用があります。 私はこれを読んでピンときました。 以前素読した日寛上人のお書き物の中にその説話がありました。 あぁ、これこれ、 !!序品談義、歴代法主全書4−92です。 譬えば爰に一人の貧女あるに此の貧女が家の中に大分金子をつめたる所の大なる穴蔵がごさる。此の蔵の金は本より貧女が金でござれとも幼くして父母に別れて孤子であったかして、其の金蔵の有ると云ふ事を曾て知らずして、或は此コへ行けば人の機嫌を伺て、やうやうせんたくを し、或は彼コへ行っては、けはく(軽薄?)をして米をしらけ麦をついて其の日の口をやしないて種々様々の苦労をいたす。 時に人有て彼の貧女にかたるやうは、如何して其の方はかヽるいやしき業をして浅間敷き為体ではあるぞ、知らずや其の方の家には金子を大分積みたる所の蔵がある程に、其れを堀り出して心易く自由自在の身となるやうにと教へてごさる。時ニ貧女ノ申すやうは、いや某が家にはさようの蔵はござらぬ、私曾て存ジませぬと申してござれば、時ニ彼の人が申すようは成る程、其の方が家の内に其の方の金か沢山にある、大分ちりあくたが覆ふて其の下にある程に、知らぬも理(ことわ)りなれども、定ンである程に、早々其のちりあくたを除いてほり出すやうにと教へてござる。依て彼の貧女が其の教への如く一心にちりあくたを除いてほりかへして見てあれば、そろそろと蔵の口まてほり付けてござる。あらうれしやと思ひて蔵の口を開いて見てあればをびたゞしい金か御座った。仍テそれよりして其の金をほり出して自由自在につかって忽チに大福長者となてこそあれと云ふ事を涅槃経会疏第六―五如来性品に御説き成被てある。 此譬エを天台大師妙楽大師御引き被レ成て六即位に合譬被レ成てごさる。其の意を取て(序品談義・歴全四-九二) [⇒歴全4-92|http://honshubou.main.jp/gazo_/rz/rz040092.gif][・4-93画像|http://honshubou.main.jp/gazo_/rz/rz040093.gif] 歴全の画像を見て下さい。結構取っ付きづらいですが、慣れれば大丈夫です。 原文カタカナをひらがなにしただけですが、それでも難読ですね。 !!じゃ意訳をしてみましょう。 たとえばここに一人の貧しい女性がいたとします。この貧しい女性の家には大金をつめこんだ大きな穴蔵がありました。この蔵の金は本来、この女性の金でありましたが、彼女は幼くして父母に先立たれ孤子となりました。その穴蔵に大金があるという事を少しも知らずして、或いはこっちへ行っては人の機嫌を伺い、かろうじて洗濯仕事を得、或いはあっちへ行っては、ケバク(軽薄?繫縛?労役?この辺不詳)をして米をしわけ麦をついて其の日の食料を得て種々様々の苦労をしていました。 ある時、ある人がその貧しい女性に言ったことには、 どうして、そなたはこのような卑しい仕事をして下品な生活をしているのだ? え?知らないのか?そなたの家には大金を詰め込んだ穴蔵があるのだから、それを堀り出せば簡単に自由自在の身となれるというのに。 と教えた。すると彼女は、 いや私の家にはそんな蔵はございません。私は聞いたこともありません と答える。その人は、 なるほど、そなたの家の内にそなたの金が沢山ある、すごい塵やゴミが覆い被さったその下にあるので、知らないのも無理はないけれども、きっとあるから、さっさとそのチリやゴミを払って掘り出しなさい、 と言った。 よって彼女がその助言の通り一心にチリやゴミを払って掘り返してみると、ようやっと蔵の口が見えてきました。 あらうれしやと思って蔵の口を開いて見るとおびただしい金かそこにありました。 それでその金を取り出して自由自在につかってたちまちにお金持ちになりました (序品談義・歴全四-九二) 観心本尊抄講話2−291辺りが該当しますが、この涅槃経会疏第六というのの原典に当たってみたいですね。 {{category 説話,ひ}}