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普明王の話

普明王の話


 これは太宰治の「走れメロス」の元となったとされている説話で普明王の話であります。
 昔々、人と獣の合いの子で斑足王(はんぞくおう)という王様が居ました。この王は空を飛ぶことが出来、外道の師匠から千人の王の首を切るよう命令されました。
 斑足王は九九九人の王を捕まえ、そして最後の一人に普明王を捕まえました。
 所が普明王は激しく泣き喚くので斑足王が王としての品格に欠ける者である。どうして他の王の様に潔く出来ないのか、と理由を聞くと、普明王は、

「首が切られるのが恐ろしいのではない、今朝城を出る時に会った僧侶に、帰ったらお布施をすると約束をしたのに、ここで殺されたらそれが果たせない、嘘つきになってしまう。それが悲しいのだ」、

と答えます。それならば、ということで七日間の猶予をやるから約束を果たしてこい、と普明王は釈放されました。
 普明王は国内の僧侶にお布施をし、王子に位を譲って七日目に首を切られに斑足王の元に戻ってきました。
 斑足王はその正直さに打たれ外道の師匠の教えを捨てて九九九人の王と共に普明王を釈放しました。
 この説話では命よりも大事な信義がある、ということを教えてくれています。
 所が今の世間の人たちにかかると、わざわざ殺されに戻る必要はないだろう、そのまま逃げてしまえばよい、こんな話は馬鹿げている、という風に批評されかねません。
 しかし論語にも、

   朝に(あした)道を聞かば夕べに死すとも可なり
                              中国古典名言事典三〇A参照

というのがあって朝、(朝と書いて「あした」と読ませているのですが)朝に正しい教えを聞いたならばその日の夕方に死んだとしても悔いはない、と説いています。つまり正しい教えを知る――、知ると言うことはそれを実践して徳を高く積む事に他なりませんが――。それは命よりも重大なこと、なのだと儒教ですら説いているのです。
 私達が信仰に向き合う時は、一切の他事を差し置いて、御本尊様を信ずる、という事が大事です。それは命よりも大事なことなんだと肚を決めて信行に励んでご覧なさい。必ず御本仏様は大きな功徳、不思議な功徳を現じて下さいます。
 簡単なことを言いますと、もし信心について自分の前に二つの道があったとしたら、敢えてイバラの道を選びましょう。多少無理強いする信心こそ仏道修行なのです。
一生懸命に信心をしましょう!


本種坊だより201502掲載
[説話]

最終更新時間:2017年10月08日 21時47分38秒