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仏性の変更点

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!!!仏性
!!概要
仏性(ぶっしょう)とは仏の命、仏の性質である。

語弊を恐れず大胆に説明するとすれば、

この世にあるあらゆる存在に必ず仏性が埋没しており、普段は煩悩に塗り固められてそれが存在しないかのように思われるが、あるキッカケによってそれは我々の心の表側に現れてくるのである。
そのキッカケとは仏の命そのものとの接触・邂逅である。
仏の命とは日蓮大聖人が

日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事[685|http://honshubou.main.jp/gosho/0685.htm])

と仰せられるように、御本仏日蓮大聖人の顕された南無妙法蓮華経の御本尊である。
この御本尊に毎日南無妙法蓮華経の唱題、法華経(方便・寿量)の読経することによって自ずと自身の心の奥底に埋没していた仏性が呼び覚まされ、拙い我々も仏としての命の一分を顕わして仏の振るまいが出来る様になるのである。



そしてまた、そういう状態になった我々がまだこの御本尊を知らない人々に接しこの仏の命を説いていくことで、相手が歓迎しようとも、聞く耳を持たずとも、相手の心の内面の仏性は反応するのである。

この様を大聖人は、
一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経とは名づくるなり。されば一遍此の首題(南無妙法蓮華経)を唱へ奉れば、一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時、我が身の法性の法報応の三身ともにひかれて顕はれ出づる、是を成仏とは申すなり。例せば篭の内にある鳥の鳴く時、空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる、是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し。(聖愚問答抄[406|http://honshubou.main.jp/gosho/0406.htm]頁)
と説明されている。

故に自身の愚見を以て、日蓮大聖人を誹る等、仏法の道理に反したひどい言動をすると内面の仏性がアレルギーを起こし、かつ法界の仏性をも誘発してその人を自滅させる方向に働くのである。これが仏罰である。

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