!!!法統相続 !!概要 法統相続(ほっとうそうぞく)とは日蓮正宗の信心を子供や孫に伝え持(たも)たせること。 日蓮正宗の信心は俗に「一代法華」などと揶揄されるように信心を生涯貫くことは難しい。況んや子々孫々にまで伝えていくことは難事である。 それというのも一切の妥協を許さない、謗法厳誡・折伏の宗教だからである。 開目抄に、 俗の良薬口に苦しと言ふが如く、此の経は五乗の異執を廃して、一極の玄宗を立つるが故に、凡を斥け聖を呵し、大を排ひ小を破り、天魔を銘じて毒虫と為し、外道を説いて悪鬼と為し、執小を貶って貧賤と為し、菩薩を挫めて新学と為す。故に天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆らひ、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。此くの如きの徒、悉く留難を為す。多怨嫉の言豈虚しからんや(新編御書[540|http://honshubou.main.jp/gosho/0540.htm]頁) と引用されるように、菩薩に至るまで叱責をするのであるから山のような迫害が起こるのは当然である。 しかし純粋に正しい教えを信じ行ずることで即身成仏という甚大な功徳に与(あず)れるのであるからこの幸福を子孫に伝えないのは罪ですらある。 九世日有上人は、信心をしない子供は勘当せよ、勘当できぬ親は離檀せよと示されている。それほど信心を厳格に伝えねばならないのである。 江戸時代、金沢の地で日蓮正宗の信心を禁じられ、信徒はひっそりと信心を貫いていたがこんな家訓が遺されている。 「久保家子孫代々に伝へまいらせ候。今日まで正宗の法華経唱え奉り候へども藩の取締り堅固なれば、思うままに信心致し難く、大石寺にまかり出る事なかなか至難に相なり候へば、ただひたすらに襖の影より心ひそかに題目を唱へ居り候。 いつしか当家にも大声高らかに題目の響き渡る時を祈り、正宗の経文を唱へらせたくその日を旭日の昇るが如くに心待ち居り候。(中略) 河川が逆流し、夏雪が地下より吹上げ候へども信心の心ゆるむ事、固く固くいましめおき候。家が栄えるも滅ぶるも信心の強弱にて候えば、此の経文題目、大聖人の申される通り行じ候はば、さらさら滅ぶる事あるべからず。  弘化三年(一八四六年)十二月」  この信心さえ貫いていけば必ず栄えるのだ、との確信を伝えている。 {{category ほ,用語}}