本要寺支部 Y田T市さん(秋田地方部総会より) H240422 !!本要寺[[支部]] Y田T市さん (H24.4.22秋田地方部総会より) !!一心欲見仏不自惜身命の精神で御報恩の実践 [[罪障]]消滅願い[[折伏]]で戴いた命  本日は入信から現在に至るまでの間に私が体験したこと、感じたことを発表させていただきます。  私は、妻との出会いを通じて一年半ほど前に入信したものの、[[勤行]]・[[唱題]]に疑問を持ち、[[御本尊]]様の功徳とは何だろうと考える日々でした。  妻は 「やらなきゃ判らない、理屈ではない」 と繰り返し言いましたが、私は、妻が純真に日蓮大聖人様の仏法を信じ一生懸命に活動をしている姿を見ても、 「ある種、洗脳されているのではないか」 とまで考えていました。ですから、入信して数ヵ月間は妻のご機嫌取りのためにお寺に出向く程度で、信仰に対する情熱はありませんでした。  そのような信心姿勢を続けていて、[[御本尊]]様から叱られないわけがありません。私の生活はどんどん悪化していきました。仕事では、契約寸前まで詰めた話がことごとくキャンセル。収入が安定せず、家庭では夫婦喧嘩が絶えないといった具合でした。 !!功徳とは何か身をもって体験  そして昨年一月、風邪をこじらせた私は、肺炎を起こし心不全で呼吸困難になり、妻が救急車を手配しました。  総合病院へ運ばれ処置室に入り、点滴を何本も刺しての懸命な処置を施されましたが、一時は心肺停止状態になりました。その時、薄れる意識の中で無意識に 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」 と[[御題目|題目]]を三回唱えました。  電気ショックで蘇生され一命は取り留めましたが、血圧を再度測定すると二百六十七もあったので、再び周りがざわめきました。意識を失ったり脳梗塞や心筋梗塞になってもおかしくないレベルですが、御[[題目]]を唱えてからは不思議なことに意識が戻り、呼吸困難からも解放され、自力で歩くこともできたのです。医者や周りのスタッフが 「本当に大丈夫ですか」 と話しかけてきたことを覚えています。  肺には水が溜まり高血圧状態にあったのに、苦しくないのです。その時はそれがどういうことか理解できませんでしたが、何か別な法則やエネルギーが働いた感覚がありました。  全治一カ月の安静という診断でそのまま入院となり、数本の点滴を二十四時間受け、検査が繰り返されました。しかし症状は三日で完治したため、一週間で退院となりました。驚くほどの快復力に、医師は 「笑うしかないね」 と首をひねっておりました。  我が家へ帰り妻や子供たちと触れ合い、それまでの生活に戻った頃だったでしょうか、 「仏法」や「功徳」というものについて考え始めました。私が体験したのが功徳であるならば、 「南無妙法蓮華経」 がいかに強力なエネルギーと法則であるかを痛感させられたことになります。  日蓮大聖人様は、 ""「功徳とは六根清浄の果報なり。(中略)悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳(おおきなるさいわい)とは即身[[成仏]]なり」([[御書]][一七七五|http://honshubou.main.jp/gosho/1755.htm]頁)  と仰せられています。この御文を拝したとき、私の中で何かがはじけた思いでした。それは自信でした。 「これは本物だ」。 妻が頑なに 「やらなきゃ判らない。理屈ではない」 と言っていた意味が理解できた瞬間でした。  それから、私なりに日蓮正宗を知るため、『[[御書]]』をはじめあらゆる書物を漁って読みました。お寺へも自ら進んで参詣するようになりました。  好奇心でいっぱいでしたし前職が学術研究者だったこともあり、己の身をもって体感したわけですから、この謎に夢中になるには、そう時間はかかりませんでした。また、どうして[[御本尊]]様は私を生かし、この信心に目覚めさせたのかを考えるようにもなりました。  そして私なりにたどり着いたのが、 「一心欲見仏不自惜身命」 の深い信心でした。   ""「一心に仏を見たてまつらんと欲して自らの身命を惜しまず(中略)一とは妙なり、心とは法なり、欲とは蓮なり、見とは華なり、仏とは経なり。此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり」(同 [六六九|http://honshubou.main.jp/gosho/0669.htm]頁)  との御[[指南]]を、 「一心に命を懸けて寿量品の肝心・文底秘沈の大法である仏様だけを見なさい」 との御教えと、私は受け止めたのです。また生かされた理由は、この仏法を一人でも多くの人に弘めるために、再び生きるチャンスを仏様に与えて戴いたのだと思いました。 !!使命を持って生まれた我が子  同じ年の七月、娘が生まれました。三千六十二グラムの小さな命です。五体満足であればあとは望みません。親としての願いでした。  しかし翌日、病院の先生からの話では、 「ダウン症候群の可能性があります。心臓の真ん中の壁に二つ穴が開いています。このままだとミルクも飲めなくなるため、成長障害等、いろいろな症状が今後現われてきます。すぐに大きな病院で詳しく調べてもらったほうがよい」 とのことでした。  告知されたとき、私も妻もショックでした。一時はこの子を抱いて死のうと思いました。 「お腹の中にいたときからお寺に通い、[[御開扉]]を受けているのに。私もやっと信心に目覚め、これからというのになぜ」 と、疑問符ばかりが出てきました。しかし、我が子を抱き上げ、その屈託のない笑顔を見ていると、とても死ねませんでした。 「これがこの子の持って生まれた[[境界]]であり宿業だ」 と思いました。またしても仏法です。 「因果の法則」 、これに尽きると私は感じました。  この子は、これを持って私たちに何かを伝えるべく仏様に選ばれて我が家に生まれて来たのだtと感じるようになりました。そして、今の私に足りないものは何か、考えに考えました。  仏様は 「過去世の悪因によって今世が不幸でも、今世で善因を積めば今世でも幸福になり、今世に[[罪障]]を消せれば来世も当然幸福となる」 と仰っておられ、末法の今、南無妙法蓮華経と唱えれば[[罪障]]が消えると考えたとき、私はハッとしました。日頃の御住職様(前御住職・小竹御尊師)の 「[[罪障]]消滅のためには、[[勤行]]・[[唱題]]・[[折伏]]・[[登山]]しかない」 との御指導が頭に浮かびました。原因が明白になれば、あとは突き進むのみです。 「これならできる」 と思いました。 !!折伏に突き進み 十六名入信  その日から私の祈りが変わりました。 「この子の命を[[罪障]]などで失わせないでください。[[折伏]]ゆえの法難であるならば、打たれても刺されても、たとえ血みどろになっても喜んで私の命は捧げます。どうかこの子の命を長らえ給え」 と[[御本尊]]様にひれ伏し、泣きながら[[勤行]]・[[唱題]]をしました。私の娘が小さな体を犠牲にして伝えたかったのは、この因果の法則だったのです。私の中の信心に対する自信が、 「確信」 へ変わった瞬間でした。歩けば[[折伏]]はできます。だったら恐れずに、今こそ[[折伏]]に突き進めばよいと思いました。  [[折伏]]を意識するようになると、今までの己の動きはすべて[[折伏]]のためにあったかのように思えてきました。仕事柄、他人と接することが多いため、いろいろな人の悩みを耳にします。人間関係やお金のこと、先祖に関することです。そうした人たちに、この一年余りの体験や大聖人様の仏法について話すと、私が誘う前に向こうから、 「[[罪障]]消滅したいです。助けてください」 「先祖供養したいです」 「お寺へ連れて行ってください」 という話になり、その結果、娘が生まれてから本日までに十六名の方を[[折伏]]させていただきました。 [写真:家族揃って初めてのご[[登山]]]  [[折伏]]を進める上で、魔が起こって毎日夫婦喧嘩が絶えなかったり、[[勤行]]がなかなかできなかったり、物事が思うように進まなかったりと、たいへんな日々もありました。しかし、御住職様から 「[[御法主]]上人[[猊下]]は魔は仏様には絶対勝てないと仰せです。魔だと気づいた瞬間に[[唱題]]をするように」 「魔が起きない信心は信心ではない」 と励ましていただいたことで、魔によって気持ちを乱すことも少なくなりました。  この頃から仕事上のトラブルが激減し、契約も決まり、保留状態だったプロジェクトも動き出し、よい方向へ向かいました。  妻は娘を連れて毎月定期的に心臓外来に通い、 「心臓の穴は成長するにつれ自然にふさがる可能性もあるので、様子を見ながら見守っていきましょう」 と説明を受けていました。三十ccのミルクを飲むことは、娘にとっては百メートルを全力疾走するようなものだそうです。そうやって心臓に負担をかけながらも一生懸命ミルクを飲み、生後四カ月でようやく体重が四千四百グラムになりました。ゆっくりでも健やかに成長してくれればいい、懸命にミルクを飲む娘を応援する気持ちで毎日を過ごしていました。 !!娘を救うため 家族が団結  ところがそうした中、娘に異変が起こりました。あまりの苦しさのためか、ミルクが飲めなくなってしまったのです。  お寺に行って御住職様に事情をご説明したところ、[[御秘符]]を戴く運びとなりました。御住職様から、 「今日から誰一人欠けることなく、一家揃って[[勤行]]するように」 と御指導をいただきました。それ以来、娘を助けたい1心で小学生の三人の兄姉も一緒になって、ようやく家族全員揃って毎朝六時から朝の[[勤行]]をする生活に切り替えられました。 ""「病によりて道心はおこり侯か」(同[九〇〇頁|http://honshubou.main.jp/gosho/0900.htm])  と[[御書]]にありますが、物言わぬ我が娘が命を張って、家族に足りないもの、大事なものを教えてくれたのだと思いました。  娘を病院に連れていくと、大学病院での心臓外科手術が必要との診断、十二月七日、二泊三日の心臓カテーテル検査のため、秋田大学病院に入院しました。  検査を終えてから早くて三カ月、長ければ半年間待機しなければ手術できないとのことでした。心臓への負担を減らすため、鼻から管を通して胃に直接ミルクを注入しましたが、体重は増えるどころか減ってしまい、あと半年もの間この子は苦しまなければならないかと思うと胸が張り裂ける思いでした。  ところが、ひと通りの検査を終え退院の段取りをしようとしたとき、不思議なことに娘の状態が突然悪くなりました。それを見た担当医の判断で、直ちに手術していただける運びとなりました。[[御本尊]]様の御取り計らいとしか言いようのない展開でした。  手術当日、朝の九時から五時間に及ぶ手術でした。御住職をはじめ[[講員]]の方々が手術の間ずっと[[唱題]]をしてくださいました。ある[[講員]]さんは、 「この子は本要寺の宝だ」 と言って、涙ながらに励ましてくださいました。入信間もない私たちのために多くの[[講員]]さんが心配してくださったことが有り難く、このお寺に緑ができ、本当によかったと思いました。 !!驚きの快復力 一家揃って[[登山]]へ  手術は成功しました。担当医から、術後一カ月ほど様子を見るので退院は一月下旬と言われ、一月十五日の[[支部]]総[[登山]]には家族全員では参加できないものと諦めました。娘が行けなくても家族で[[登山]]させていただこうと話し合っていましたら、 「置いていかれてたまるものか」 と言わんばかりに見る見るうちに快復し、二週間で退院できました。  お陰で一月八日の初[[御講]]の時には、手術が無事成功し退院できたことのご報告ができました。  私の命を救って戴き、さらに娘の命までも救って戴いたことを感謝申し上げるべく、翌週の[[支部]][[総登山|登山]]には、バスで片道十時間の行程にも躊躇することなく、一家六人揃って参詣させていただきました。  私は、一定の法則に従って幸福にも不幸にもなるということを知り、正しく[[罪障]]消滅する生活をすれば、例外なく幸福になっていくことを身をもって体験しました。これこそ真の仏法であると確信しています。  真の仏法は、いずれ世界の 「常識」 となることは間違いありません。幸福も不幸も偶然に起こるのではなく因果に基づいていると判れば、何か地に足が着いてやっていける、たくましく生きていける自信のようなものが涌いてきます。これは日蓮大聖人様が、私たち末法の衆生を救ってくださるために説き示してくださったものであり、それを脈々と受け継いでいるのが日蓮正宗であります。この信心を教えてくれた妻には、心から感謝しています。  我が本要寺[[支部]]におきましては、御住職様が毎日五時間の[[唱題]]をされ、私たちに[[折伏]]の縁が生ずるようにと御祈念してくださっています。[[御本尊]]様から賜った御恩に報いるため、 「一心欲見仏不自惜身命」 の精神で、[[折伏]]をもってお応えしていきます。  そして、三月二十八日に既に本年の[[折伏]][[誓願]]を達成していますが、平成二十七年の御命題達成のためにも、今後は百五十パーセントをめざして前進することを決意し、私の体験発表とさせていただきます。 (本要等[[支部]]は、六月より新たに御住職となられた関戸御尊師のもと、九月二十五日に[[折伏]][[誓願]]目標百五十パーセントを達成し、さらに新たな[[折伏]]に取り組んでいます) {{category 体験,病気平癒}}