両親の折伏を成就  皆さんこんにちは。清涼寺支部のN戸と申します。宜しくお顔い致します。本日は、過日行われました、法華講清涼寺支部結成四十周年記念支部総会の時の体験発表をさせて頂きます。清涼寺支部の方々には二度目ですがご勘弁下さい。  本日は、法華講入講二十一年目にして両親を折伏出来ましたので発表をさせて頂きます。  私の入信は平成三年で、当時家庭間題を抱えてどうしようもなく、この御本尊様を何に変えても頂きたいという気持ちで入信致しました。  私の家はF橋市で、古い家の家系で、現在も本家から隠居分家した家が、下総のN宮神社系の神主を代々しており、隣は古くからの真言宗のお寺です。  私の家は私で五代目ですが、過去に二度も婿をとっていたりして、女系家族でした。  亡くなった祖母からは、  「お前はこの家を守っていくために生まれたんだから」  といつも言われて育ちました。  そういう状況での入信でしたので、当時入信するまでは四年もかかり、その間に悪いことが重なりました。入信時は親族会議が開かれ、母は泣き崩れ、親戚の叔父は、  「兵糧攻めにしてやる」  と言い出す始末でした。  法華講に入講した青年部時代は輸送班もさせて頂き、大石寺登山者のお手伝いもさせて頂きました。家の中ではたった一人で信仰してきた訳ですが、十二年前には妻を折伏、結婚し、共に役職もさせて頂き、広宣流布の道を歩んできました。  地区としては西N志野地区、第R支区で、平成二十一年七月の七万五千名大結集総会での御法主日如上人猊下様の講員数五十%増の御指南にも、地区・支区一丸となり、精一杯尽くさせて頂いております。  その中には、夜の雪の中を慣れない車で御本尊送りなどといった、沢山の思い出、体験もありますが、今日は割愛させて頂きます。 !!悲願は両親の折伏  しかし、どうしても出来ないのが両親の折伏でした。いつも折伏しても、最後は聞き入れてもらえないといった状況でした。  そんな中、今年の一月、父がインフルエンザでダウンしました。治ったかと思えば、また高熱、病院から処方されて薬を飲めば熱が下がる、そしてまた高熱が出る、といった事の繰り返しでした。  そんな中、病院を変えた方が良いという事になり、病院を変えてみました。そうした所、血液の成分検査でひっかかり、やっと原因が掴めそうになり、また更に精密に検査をする事となり、その検査機関から、N志野の病院を紹介され、やっとの思いで入院となりました。入院したのはゴールデンウイーク前の四月二十六日、祖母の命日でした。 !!父の大病  その時の主治医の説明では、  「余命四日、生きて1週間」。  母は震えて私の腕を掴みました。検査結果を待たずに、命の為に抗ガン剤治療をするという状況でした。病名は血球食食症候群、悪性リンパ腫の疑いというもので、正式な病名はついていませんでした。  その時を振り返りますと、父は黄痕があり、足はむくみ、腹水は溜まり、いつ亡くなってもおかしくない状況でした。  私は、  「このまま父を死なせてなるものか」  という思いと、  「もし亡くなってしまっても必ず正宗で葬儀を出してあげたい」  との思いが錯綜していました。  そして支部の沢山の講員さんに恥を忍んで、(病気平癒の)お題目をお願い致しました。その節は清涼寺支部の皆様、大変ありがとうございました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。  そうした中で、母に、  「もし親父が亡くなったら正宗で葬儀をしたい」  といって折伏をしたのですが、その時は母と激しくぶつかり、母は、  「そんな事は出来ない」  という返事でした。 !!母の入信  そんな嫌な思いで二日間位を過ごし、時は五月三日の連休に入り、清涼寺にはO川御尊師が来られており、三日から六日にかけては折伏の強化推進日でした。  そのような五月三日にお寺で十時から二時間の唱題をし、先輩の助言もあり、O川御尊師と病院へ母の折伏へ、ダメ元でも良いからと行って頂きました。  病院に着き、O川御尊師に来て頂いた事を喜んだ母は、  「誰かに来て頂いて仲介して欲しくて悩んでいました。次男に相談したら、「今後は兄貴に世話になるのだから、兄貴の言う通りにしたら良いよ」  と、この二日間で母と弟が相談していたのですが、私と話すきっかけが掴めないでいたのです。  そしてO川御尊師の心からの折伏で、その場からお寺に向かい、二十一年越しの折伏が成就し、晴れて母の御授戒が叶いました。  この、お寺に向かう連中で、私は御尊師に、「夢のようです」と話し、心から歓喜し、「御本尊様、大変ありがとうございました」と感謝の気持ちで一杯でした。  また、この両親の折伏は、長い時間をかけてN村御住職にご尽力して頂いておりました経緯があります。  本当に御尊師様方の連携には感謝尽くしきれないものがあります。N村御住職様、O川御尊師、大変ありがとうございました。  また、長い間、沢山の法華講の同志の方々、諸先輩に両親を折伏して頂き、大変ありがとうございました。 !!謗法払い  そして謗法払いですが、何しろ家が始まって百三十年位の歴史分の謗法払いでしたので、大変でした。敷地内の稲荷も払い、真言宗の仏壇の中身、大きな神棚と沢山ありました。特に神棚は神札が二百枚くらいあり、私は気絶しそうでした。  しかし、その神札を払う際に、私は自然と口から、  「これで親父は助かった」  と家内に口走っていました。  五月五日にはN澤御尊師に来て頂き、母屋に御本尊様を無事に御安置して頂き、江戸時代かに生まれた曾ひいお祖母さんからの、真言宗の家は日蓮正宗の家に生まれ変わりました。大変ありがとうございました。 !!父の回復 父はといえば、今は亡くなるという事もなく、今回の病気でやっと目が醒めたようで、病院のべッドで、  「大石寺のカ向はどっちだい」  と言って、お題目を夜な夜な唱えているようです。一時退院の七月七日に車イスのまま本堂にて無事に御授戒を受けさせて頂きました。  また現在は退院し、様々な体調回復と、歩行のリハビリの為に、デイケアサービスに通い、毎日頑張っております。  そして落ち着いたら、家族みんなで大石寺に参詣しようと思っております。母においては、お寺の新聞「清流」に載ったこの度の体験発表を読んで、改めて感動し、さっそく親戚に郵送しようとしています。今回、私は自分の家族を通して、『法華題目抄』にある、  「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書[三六〇|http://honshubou.main.jp/gosho/0360.htm])  という御金言を感じさせて頂きました。  まだまだ、これからも色々な問題はあるでしょうが、この信心で乗り切っていきたいと思います。  現在、清涼寺支部法華講は、御尊師方々と共に、平日休日に、清涼寺近辺の主要な駅前二十カ所以上において、街頭折伏を実行し、日本人、外国人に関わらず、あらゆる宗教の人を入信に導いています。  この活動の勢いも含めて、色々な折伏方法で、清涼寺支部法華講が十月までに、折伏誓願目標を達成出来るように、目の前にある折伏を一つひとつ成就させて、この御影堂大改修落慶法要の、おめでたき年を、執事様方から御指導を頂き、S田講頭を中心に、清涼寺法華講の皆様と共に精進させて頂こうと思います。本日はありがとうございました。 ---- H2509某会報より収録※小見出しは当方 {{category どん底,体験,折伏成就,病気平癒,他宗帰伏,真言宗}}