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『戒体即身成仏義』


(★9㌻)
 六根清浄の人南岳大師なり。此の人の御釈の意一偏に此にあり。此の人を人師と申してさぐるならば、経文分明なり。無量義経に云はく「四十余年未だ真実を顕はさず」云云。法華已前は虚妄方便の説なり。法華已前にして一人も成仏し、浄土にも往生してあらば、真実の説にてこそあらめ。又云はく「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて、終に無上菩提を成ずることを得ず」文。法華経には「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。法華已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経なり。法華已前に衆生の得道があらばこそ、行じ易き観経に付きて往生し、大事なる法華経は行じ難ければ行ぜじと云はめ。但釈迦如来の御教の様に意得べし、観経等は此の法華経へ教へ入れん方便の経なり。浄土に往生して成仏を知るべしと説くは、権教の配立、観経の権説なり。真実には此の土にて我が身を仏因と知って往生すべきなり。此の道理を知らずして、浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗経にもはづれ大乗にも似ず。師は魔師、弟子は魔民、一切衆生の其の教を信ずるは三途の主なり。法華経は理深解微にして我が機に非ず、毀らばこそ罪にてはあらめと云ふ。是は毀るよりも法華経を失ふにて、一人も成仏すまじき様にて有るなり。設ひ毀るとも、人に此の経を教へ知らせて、此の経をもてなさば、如何かは苦しかるべき。毀らずして此の経を行ずる事を止めんこそ、弥怖ろしき事にては候へ。此を経文に説かれたり。「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して疑惑を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん。地獄より出でて当に畜生に堕すべし、若しは狗・野干、或は驢の中に生まれて身常に重きを負ふ。此に於て死し已って更に蟒身を受けん。常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く、余の悪道に在ること己が舎宅の如くならん」文。此の文を各御覧有るべし。「若し人信ぜず」と説くは末代の機に協はずと云ふ者の事なり。「此経を毀謗せば」の毀はやぶると云ふ事なり。法華経の一日経を皆停止して称名の行を成し、法華経の如法経を浄土の三部経に引き違へたる、是を毀と云ふなり。権経を以て実経を
 

平成新編御書 ―9㌻―

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