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『一代聖教大意』
(★84㌻)
戒定慧の勝劣と云ふは、但上の戒計りを持つ者は三界の内の欲界の人天に生を受くる凡夫なり。但上の定計りを修する人は戒を持たざれども定の力に依って上の戒を具するなり。此の定の内に味禅・浄禅は三界の内の色無色界に生ず。無漏禅は声聞・縁覚と成りて見思を断じ尽くし灰身滅智するなり。慧は又苦・空・無常・無我と我が色身を観ずれば、上の戒定を自然に具足して声聞・縁覚とも成るなり。故に戒より定勝れ、定より慧勝れたり。然れども此の三蔵教の意は戒が本体にてあるなり。されば阿含経を総括する遺教経には戒を説けるなり。此の教の意は依報には六界、正報には十界を明かせども、依報に随って六界を明かす経と名づくるなり。又正報に十界を明かせども縁覚・菩薩・仏も声聞の覚りを過ぎざれば但声聞教と申す。されば仏も菩薩も縁覚も灰身滅智する教なり。
声聞に付いて七賢七聖の位あり。六道は凡夫なり。
一、五停心
三賢 二、別想念処
智と云ふことなり 三、総想念処
七賢
一、煗法
二、頂法
四善根 三、忍法
四、世第一法
此の七賢の位は六道の凡夫より賢く、生死を厭ひ、煩悩を具しながら煩悩を発こさゞる賢人なり。例せば外典の許由・巣父が如し。
平成新編御書 ―84㌻―
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